「刀を抜けよ…」

そう言って、静かに刀を構えた彼は…
私と同じ目をしていた―――





覚悟の色





「くそっ、このままでは…っ」
「やはり、簡単には通してもらえませんか…」

赤間関を突破すべく、先に戦いを仕掛けたのは源氏側。
すぐにあちこちで、火の手が上がって。
敵味方関係なく、何隻もの船が沈んでいった。

「相手もやけに攻撃的な戦い方をするね。これは…敵の将は平知盛で決まりってところか」

ヒノエくんが、一番面倒な相手だと言わんばかりにため息をついて。
誰もが同じように思っているようだった。

「経正殿なら、また違った戦い方をするでしょうからね」
「だから、余計にこっちが突破しにくいんだ!」
「九郎、落ち着いてください。焦っても現状は変わりません」

九郎さんが焦るのも、分からないわけじゃない。
元々、水軍の数も水上戦の経験も…全てが平家が上。
ただえさえ苦しい戦況の中、追い討ちをかけるように仲間の船が減っていくんだから。
早く決着をつけないと、ここを突破して彦島へ行けたとしても…
そこで敗戦、ということになりかねない。

でも、皆が思考を巡らせる中、私の意識は別のところにあった。
私の向ける視線の先に、見えたのは銀色に輝く髪。
目が合った瞬間に、知盛が口の端を吊り上げて笑みを形作った。
射抜くような視線から、目を逸らす事なんてできなかった。

『待っていたぜ…』

声は聞こえなかったけれど、間違いなく知盛の唇がそう動いた。
戦場で会うことは…避けられないことだった。
それでも…
会いたくなかったのになぁ…。

「どうやら、ゆっくりは考えさせてくれないみたいだぜ?」

ヒノエくんは、真剣な口調なのにどこか弾んだような声で言った。
誰もが、彼と同じほうへ視線を向けて。
見えたのは、平家が私達のいる船へ乗り込んでくるところだった…。





++++++++++++++++++++++++++++





この赤間関を突破しようと、源氏が現れた。
前方で味方の船が沈んでいくのを見ても、俺は何も感じはしない。

早く…ここまで来いよ。

ここが突破されようと、されまいと…
俺には興味がない。
俺が興味があるのは、たった一人だけ、だからな…。

身軽で掴みどころの無い…
まるで、風が舞っているかのような動きをする女。

『お前は、あいつをどう思ってるんだ?』

始まった戦闘の中で、あの女の…
の姿を見つけたとき、俺の頭に昨晩の有川との会話が甦った。








「知盛、お前は生き残る側に入る気は無いのか?」

昨夜、俺のところへ来た有川は、そう真剣な瞳を向けた。
生き残る側、か…?
そんなことは、俺には…

「愚問、だな。俺とお前の道は違えた…そうだろう、有川?」
「やっぱり、お前は最後まで戦うつもりだってわけか…」
「クッ…当然だ」

俺の答えに、有川はため息をついて。
それは呆れというよりは、辛さを表していた。

「兄上が俺の身を案じてくれるとは…光栄、だな」
「…冗談言ってる場合かよ」

俺のからかいを含んだ物言いに、有川は眉を潜めた。

「冗談ではないさ…。だが、お前は俺を案じている場合ではないだろう?」
「…分かってる。けどな、このままだともしかしたらお前は…」

死ぬことになる。
そう有川は続けたかったのだろうが…。
そんなことは、お前に言われなくても分かっているさ。

「興味はないさ…」
「何?」
「戦の勝敗にも、俺が死ぬ事になろうとならまいと…、どうなろうと興味はない」

俺が興味があるのは一つ。
たった一人…
あの女だけだからな。

「俺はあの女と戦えれば、それでいい…。後はどうなろうと、俺の知ったことではないさ…」
か?」
「そんな名、だったか…」

フッと笑いを漏らして。
自分の二刀に視線を移す。

明日には、再びあの女と刀を交えることができる。
俺は…ずっと待っていた。
あの女に、俺を刻み付ける日を…
俺に、あの女が刻み付けられる日を…

「お前は、あいつをどう思ってるんだ?」
「さぁ、な…」

どう思ってる?
俺の最後の宴の相手にふさわしい女…だたそれだけだ…。
唯一、俺を楽しませてくれる存在…。
だから…








「俺を落胆させるなよ…?」
「そっちこそね」

ぶつかるギリギリまで迫った、一隻の船から俺のいる船に飛び移った一つの影。
隙を見せることなく構えた刀からは、十分すぎるほどの殺気が感じられた。

「久しぶりだね…。約束、守りに来たよ」
「本気のようだな…」
「それが、貴方の望みでしょう?」
「クッ…当然だろう。そのためにお前を待っていたんだからな」

本気のお前ともう一度戦うために…
俺は待っていた。
さぁ…、俺にお前を…感じさせてみろよ。





++++++++++++++++++++++++++





「仲間を見捨ててきたのか?」
「冗談でしょ。あれくらいで殺られるような人達じゃないもの」

平家が私達のいる船に乗り込んできて。
直ぐに戦闘になったけれど。
私はその戦闘には参加しなかった。
つまり、直ぐに戦いのどさくさに紛れて、一人でこの船まで来たっていうわけ。
あっちの船へ、こっちの船へって飛び移って…。
そりゃもう大変だったわ。

「約束守りに来たんだけど…、一応聞いとくわね。退いてくれる気はない?」
「俺は退く気はないぜ…?お前なら、分かっているだろう」

無駄だと分かってはいたけれど。
聞くこと自体、無意味だって知ってたけど。
本当に一応聞いてみたら、やっぱり思った通りの答えが返ってきた。

「だから、一応って言ったでしょう?」

ため息をつきつつ、そう言えば。
知盛はクッと笑いを漏らした。
同時に、スラッと鞘から刀が引き抜かれる音。

「刀を抜けよ…」

鍔鳴りと共に、私に向けられた二刀。
その向こうにある、知盛の深い紫の瞳と視線が合った。
今までとは違う…その瞳。
何が違うと聞かれても、ハッキリとは答えられないけれど…。

私の目と同じ…。

そう感じた。
見ているものは、未来じゃない。
未来の自分を映さない瞳は…。
私と同じ、覚悟の色を浮かべていた…。






何度、刀を交えただろう?
何度、傷を刻み…そして刻み付けられただろう?

知盛へと刀を、力いっぱい振り下ろして。
それを、知盛は右手の刀で防いだけれど…。

ガキィ…ッ

跳躍して、全体重をかけた私の攻撃に、刀が耐えられなかったのか…
知盛の右手の刀は、激しい音と共に折れて。
私の攻撃は、ほとんど勢いを殺すことなく知盛へと届いた。

知盛は瞬時に身を引いて。
それでも、避けきるには間にあわなかった。
胸から腹部へかけて、紅く縦に切り裂かれた傷。
かなり深く入った感触があった。

やった…?

でも、そう思ったのも束の間。
グイッと胸倉を掴まれて、床から足の離れる感触。
そして、何事かと理解する前に世界が反転した。

ダァン…ッ!

ものすごい音と、背中から全身に伝わる激しい痛み。
船の床が割れる感触を、背中で感じて。
同時に破片がいくつか刺さる感触がした。

「かは…っ」

一瞬、意識が飛びそうになったけれど、何とか堪えて。
でも、知盛は私を床に押し付けたままだった。
太陽と重なって、私に向けられた知盛の刀が光る。
頭に浮かんだのは、『死』の一文字。


やば…。
もしかして…死ぬの…?



叩きつけられた時に頭を打ったのか。
それとも、いくつもの傷から血を流し過ぎたのか…。
頭がボーっとして働かない。


死ぬ…?
こんなところで?
駄目だよ…。
まだ、やることがあるのに…。



目の前に迫る刀の切先。
でも、それはとてもゆっくりに感じて。
ハッキリしない意識を、何とか取り戻そうとする自分がいた。


駄目…。
こんなところで、まだ死ぬわけにはいかない。


私の終わりは…ここじゃない―――…っ。


咄嗟に右手で、知盛の左手…刀の握られている腕を掴んだ。
一瞬だけ、知盛の意識が腕へと向けれれる。
その隙を見逃しはしない。
私は右足を、知盛の腹部めがけて跳ね上げた。

「く…っ」

私を押し付けていた、知盛の手の力が弱まって。
その隙に、足を跳ね上げた勢いのまま後ろへと一転し、知盛との距離をとった。

「…やっぱり、簡単には勝たせてくれないか」
「簡単に勝負がついては、楽しめないだろう…?」
「じゃあ、今は楽しい?」
「あぁ、楽しいさ…。こんなに楽しい宴は久しぶりだな…」
「そう…。でも、これで最後ね」

お互いに、ほとんど余裕なんて残ってない。
多分、次の一撃が最後。
どっちが勝っても、負けても…。
私も知盛も、にっと一つ笑みを作って、刀を相手へと向けた。

床を蹴ったのは同時。
刀に手ごたえを感じるのと、自分が斬られる感触を感じたのも、ほぼ同時だった…。










「終わった…な…」

私の体を伝う血は、自分の物なのか。
それとも、寄りかかってる知盛のものなのか。

心臓を狙った知盛の攻撃は、私の左肩少し下に突き刺さって。
私の攻撃は、知盛の腹部を狙い通り貫いていた。

「知盛…?」
「仕留められなかったか…。お前の勝ち、だ…」

寄りかかってきている知盛が、肩で息をしているのが伝わってくる。
それがとてもリアルで…。
分かってはいたけれど…自分がしたことの大きさ、重さを思い知らされる。



『一体何を企んでいるのか…。その身のこなし…普通の者ではないだろう…?』
嫌なくらいに鋭くて。

『話か…。俺に勝てたら相手をしてやる、ぜ…?』
悔しいくらいに自信家で。

『言いたいことは、ちゃんと言っておけ』
普段は関心が無いって顔してるくせに…
本当は優しくて。

『次の逢瀬…楽しみに待ってるぜ…?…』
望美たちとは違う意味だけど…
私を必要としてくれた人…。



「知盛、どこに行くの!?」

スッと、私から離れて知盛は背を向けた。
彼が歩みを向けたのは、船縁…。

「何処にも行かないさ…。何処にも、な…」

船縁まで歩いていった知盛は、私の方へ向き直って。
今まで見せたことの無い、笑みを浮かべていた。

「俺は満足だぜ…?最後の宴の相手が、お前でな…」

最後の宴…。
それは、もう次がないことを示していて…。
分かっていた。
気づいていた。
彼の瞳を見たときの…瞳の奥の覚悟に。
それを分かっていて…それでも、彼を殺そうとしたのは私…。
他でもない、私なんだ…。

「知っているか?海の底にも、都があるんだぜ…?平家の夢の都が、な…」
「平家の…都?」
「ああ…」
「知盛は、今からそこに行くつもりなんだね…」

海の底にあるっていう、平家の都に。
行ってしまうんだね…。

「お前は来るな、よ…」
「え?」
「何があっても…来るな。俺はもう待ちはしないぜ…?」

全てを見透かしたように、知盛は笑って。
私が知盛の覚悟に気付いたように…
知盛は私の覚悟に気付いていたんだ…。

「諦めるな。還内府…兄上からの伝言だ…」

諦めるな…?
将臣くんが、私に?
伝言っていうことは、きっともう会うことはない。
思ってた通り、将臣くんは壇ノ浦にはいないってことだ。
それにしても…、二人揃って変なところに鋭いんだから。
厄介な…兄弟だなぁ…。

「確かに、伝えたぜ…?」
「とも…っ」

ぐらりと知盛の体が後ろへと傾いて。
私は何も考えずに、彼へと手を伸ばしていた。

トン…

手が触れたのはほんの一瞬。
その向こうには、本当に満足そうな知盛の笑みがあった。

「じゃあ、な…。…」

バシャン…
水音と共に、知盛の姿は波間へと消えていった。

知盛に付けられた傷が痛む…。
二度と…会うことも。
戦う事も…声を聞くことも…叶わない…。
きっと…痛むのは傷じゃない。
痛んでいるのは…。




私が言える立場じゃないけど…。




それでも…
生きて欲しかった―――…。











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あとがき
すでに、本当にヒノエ夢なのか?と疑いたくなるような話と化してます。
何を今更って感じですね(汗)
とりあえず、ここから先はヒノエに頑張ってもらおうと思います。
弁慶とかを交えつつですが。
結局は今までと大して変わらない、っていう突っ込みは厳禁で(苦笑)
っていうか、話が進まない…っ。