まさか…
彼にあの言葉を聞かれていたなんて…


まさか…
彼女がアイツを慕っていたなんて―――






想い人〜前編〜






ポチャン…

静かな水音共に、視界が薄っすらと白く遮られて。
私はホッとするかのように、ため息をついた。

「わぁ!すごく素敵な温泉だね!」

一足遅れて入ってきた望美が、子供のように嬉しそうな声をあげた。
続いて朔も入ってきて『そうね』と望美に同意した。

、湯加減はどうかしら?」
「ん〜…最高!」

にっこりと笑みを浮かべて返事をすれば、ますます二人とも嬉しそうな笑みを浮かべて。
そして望美も朔も、我慢できないとばかりに湯へと浸かる。
私達はさっき、やっとのことで熊野へと着いたばかりだ。
そして、そこで

『足の疲れをとるのも、大事ですよ』

という望美の提案で、龍神温泉へ立ち寄ることになったのだ。

「それで?本当のところはどうなの?」
「え〜…」

望美の恥ずかしそうな声がする。
朔が『望美の一番気になる人は誰なの?』と切り出したのが始まり。
『皆好きだよ』という望美に、珍しく朔が退こうとはしないで。
楽しそうというか、興味があるような、そんな微笑みを浮かべて追求してるというわけだ。

若くて、女の子らしい会話なんて…羨ましい限りだわ〜。
と、自分も1つ2つしか歳が変わらないのにも関わらず、何とも微笑ましく思って。
一人会話に加わることなく、空をボーっと仰ぎ見ていた。
だって、好きな人の話とか…恋話はどうも遠い話のような気がして。
別に何か嫌だとかそういうわけではないけれど、わざわざ自分から話に入る必要もないかなと。

「ねぇねぇ、は誰か気になる人いないの?」

答えに困った望美が、私に突然話を振った。
朔の興味の矛先を、私に向けようというわけだ。

「そうね、特に仲が良い人も何人かいるから…」

望美の思惑通り、矛先は簡単に私に向いて。
二人揃って興味津々の瞳を向けてくる。

「望美が先に教えてくれたら、話してもいいよ?」

『ギブ&テイク。でしょ?』
と、私がニッと笑えば、望美は一瞬目を丸くして、すぐに頬を膨らませた。
いじわる、とでも言いたそうだ。

「それで?望美の一番気になる人は?」

今度は私と朔の二人に詰め寄られて、今度こそ観念したのか、望美はひとつため息をついた。

「そうだな〜…あえて言うなら…」

あえて、とは言っているものの、望美の頬は明らかに真っ赤に染まっていて。
その人物の名前に、へぇ…そうなんだ、と思いつつも、ちょっと悪戯心が湧いてきて。

「愛情に勝るものはないものね。ね?朔?」
「そうね」

と二人してからかえば、望美は焦った上にますます顔を真っ赤にして。
『そ、そんな大そうな意味じゃなくて…っ』と抗議した。
だけれど、どんなに怒ってみたって、怖くなんて全くなくて。
むしろ、逆に可愛いとさえ思ってしまう。

「で…私は教えたよ?はどうなの?」

絶対白状しないと、湯から上がらせない、とばかりに望美が詰め寄ってきた。
その様子に内心少し苦笑しつつ、約束だから仕方がないと思って。

「…弁慶さん…」

私の言葉に、望美も朔も驚いたけれど。

「…だった」

とすぐさま続ければ、今度は不思議そうな顔をした。
『今は特別な人はいないのよ』と、ふふっと笑いながら言って。
どうにも納得してない二人を横目に、再び捕まってしまう前にと湯から一人先に上がる。

本当に昔の話だったから、だから軽い気持ちで話したのだ。
だけれど…私は思っても見なかった。
その軽い気持ちで言った言葉を…まさか彼が聞いてたなんて…。






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『足の疲れを取るのも、大事ですよ』

その提案から、オレ達は龍神温泉へと立ち寄って。
こうやって、温泉に浸かってるわけだけど。

「男同士で風呂に入ってもねぇ…」

華がないというか、何と言うか。
姫君たちがいれば、言う事無しなんだけれど。

「ヒノエ、間違ってもたちの方へ行くんじゃないぞ」
「人をケダモノ扱いするなよ。がっついたってしょうがないからね」
「きみは普段の言動に問題があるから、疑われるんですよ」
「うっわ…アンタにだけは言われたくなかったぜ…」

純真な九郎や、真面目な敦盛に言われるならまだしも。
弁慶にだけは言われたくない。
オレより、アンタの方が言動に問題ありじゃないか?

「それで、望美の一番気になる人は?」

楽しそうに弾んだ声が、板塀の向こうから聞こえてきた。
どうやら、台詞から推測するに、想い人の話になっているようだ。

「ヒノエ、悪趣味だろう?」

姫君たちが何をさえずってるのかな?とオレが場所を移動すれば、譲が不機嫌そうな声を発した。
だけれど、『お前は気になんねぇのかよ?』と言えば、それ以上の事は言わず黙っていた。
ここにいる奴で、気にならない奴なんていないだろうに。

「そうだな〜…あえて言うなら…」

恥ずかしそうな仕草をしているであろう事が、容易に想像できる声色で、望美が出した名前。
名指しを受けた本人は、バシャッと一瞬、湯の中へと体勢を崩した。
へぇ…望美が好きなのはあいつなのか。
この分だと…もしかしたらのことも聞けるかもしれないね。

「で…私は教えたよ?は誰なの?」

ほらね。
好奇心を抑えることは出来ずに、そのまま耳を澄ませる。
の好きな奴…それにすごく興味があったし…
何より、その相手がオレだといい、とそう思っていたから。
だけれど、そこで盗み聞きをするのを止めていればよかった。
止めていれば…こんな気持ちになることはなかったのに…。

「…弁慶さん…」

オレの耳に飛び込んできたのは、意外な人物で。
他の誰よりも、口にしてほしくなかった名前だった。

バシャッ

オレは勢いよく湯から上がって。
その様子に皆が驚いていたけれど、一人だけ…弁慶だけは驚いているような顔をしながらも…
勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。






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「おかしい…」

絶対なんかおかしい、と私は呟きながら、前を歩くヒノエくんの背中を見ていた。
気づいたのは温泉を出て直ぐ。
温泉に入る前と後とで、あきらかにヒノエくんの態度が違った。
いつもなら直ぐに話しかけてくるのに、何故か目さえ合わせようとしてくれなくて。
と言うより…避けられてるような気がしないでもない。

「ヒノ…」

思い切って声をかけてみようとしたんだけど…

さん、温泉はどうでしたか?」

と、弁慶さんに声をかけられてしまって、結局声をかけそびれてしまった。
だけれど、弁慶さんを無視するわけにもいくはずがなくて。

「すごく良いお湯でしたよ。疲れもとれましたし」

私が笑顔で答えれば、弁慶さんもまた、笑みを返してくれて。

「良い質の湯は、体調を整えるのに持って来いですからね」
「そうなんですか?」
「ええ、湯によって色々効能があるんですよ」

へぇ…お湯ってそんなにすごい効果があるんだ。
確かに、どこかの温泉に通っていたら持病が治った、っていう話を聞いたことはあるけど。

「さすがは薬師ですね」
「おや、珍しいですね。きみが僕のことを褒めてくれるなんて」

弁慶さんは一瞬驚いたような表情をして。
でもすぐに柔らかい笑みを浮かべた。

「べっ…別に褒めたわけじゃないんですけど…」

思いっきり褒めてるにも関わらず、素直に認めて返せない辺り、この性格が憎たらしくて仕方がない。
それに…何!?その笑みは!?
今まで一度も、そんな微笑み見せてもらったことがないんですけど!?

「どうかしましたか?」
「何でもないです…っ!」

熱を帯びてきた顔を見られたくなくて、フイと顔を背ける。
その様子を横で、弁慶さんはくすくす笑いながら見ていた。
恐らく、何もかもバレバレなんだろうな…。と内心涙を流したけれど。
そこで気づくべきだった。
ヒノエくんが、私達の様子をジッと見ていたことに…。






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『面白くない…』

温泉を出た後、直ぐに泊まる場所も決まって。
オレは一人、部屋にいた。
一人で考え込んでいて…思い出していたのは、さっきのこと。

オレに声をかけようとしていたは、見事にそれを遮られて弁慶に捕まった。
暫く気にしない風を装って、二人の様子を窺っていた。
でも…

気にならないわけないだろ…?

『何でもないです…っ!』

弁慶の浮かべた微笑みに、は頬を赤く染めて。
すぐさま顔を背けたけれど、弁慶がそのことに気づかないはずは無くて。
くすくすと、微笑ましそうに…笑っていた。

がまさかアイツを…弁慶のことを想っていたなんて。
それを知ったら…がアイツと話しているときの表情が、いつもと違って見えた。

「…っ」

ダンッと思いっきりもたれ掛かっている壁を叩く。

「わ…っ」

その音に驚いたような声が、直ぐそばから聞こえた。
考え事に必死になってて気づかなかったのだ。

「ヒノエくん、どうかしたの?」

見上げた先には、オレを心配そうに覗き込むの姿があった。

「いや、別に何もないよ?」
「嘘でしょ?」
「どうして?」

オレがいつものように笑みを浮かべて答えれば、は瞬時に訝しげな表情を浮かべた。
全く、本当にどうしてこういうことには鋭いのか。
オレがお前を想ってることには、気づかないのにね…。

「だって、私のこと避けてるもの」
「避けていたら、オレは今すでに逃げ出してると思うけど?」

オレは、本当に何でもないといったように笑みを向ける。
でも、は一つため息をついて、自分もオレの前に座った。

「ごめんなさい…」

突然深々と頭を下げた彼女に、一瞬驚く。
でも、顔を上げたは、少し困ったように微笑んで。

「私が、何かしちゃったなら…ごめんね?」

再び紡いだ謝罪の言葉。
だって馬鹿じゃない。
オレが不機嫌な理由が自分にあると、何となく気づいているんだろう。

「ほら、私って結構、遠慮の無い言い方するから。ヒノエくんにも何かしちゃったのかなって」

照れたように、恥ずかしそうに…困ったように…微笑んで。
その仕草があまりにも愛おしすぎて、思わず手が伸びそうになった…。











後編へ
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あとがき
キリリク第一弾!…の前編です。
リクの内容は『ヒノエの嫉妬モノ。甘々』とのことでしたが…。
どうにも私、嫉妬とくると、甘々から遠のいていくようで…。
前半はどうにも甘くなりませんでした…。
甘いのって難しい…。しかも長くなりすぎるために、前・後編に分けたという。
言い忘れてましたが、十六夜記の温泉イベントがモロ入ってたりします。
朱羅様、リクエストありがとうございました!そして、キリバン8888ゲットおめでとうございます!
後編は甘々目指しましたので、どうかお付き合いくださいませ〜。
ちなみに、勝手ながらヒロインはヒノエ連載と同じヒロインにさせていただきました〜。
それと、望美ちゃんの好きな人はお好きな人で。そりゃもう平家でも構いません(ぇ)