music by TAM
これでよかったのだろうか?
何か勢いで仲直り?してしまったけれど…
私に与えられた命令は、無くなったわけじゃなくて
放そうとした手を、引き止められるように掴まれて…
ただ、傷つける日が伸びただけではないか?
結局何も変わってなどいない。
それでも、もう少しだけ…
この手を放したくないと、そう思ってしまう―――…
前別当
「は一緒に行かなくてよかったのかい?」
本宮の一角、日の当たる縁側でボーっとしていた私。
背後から声をかけられて、ゆっくりと振り向いた。
そこには、悪戯っぽい笑みを浮かべたヒノエくんがいて…
その質問に思わず苦笑が漏れる。
「だって、速玉大社に行っても別当がいないことを知ってますから」
逆に悪戯っぽい笑みを返してやる。
本宮には別当はいない、と言われて九郎さんたちが速玉に向かったのは今朝。
どこからの情報かは知らないが、どうやら別当を速玉で見かけた人がいるらしい。
で・す・が
それは完全にガセネタですよ?
だって…その噂を、別当本人が一緒に聞いていたんだから。
ずっと一緒にいた彼が、速玉で見かけられるはずないでしょ?
「存外、も意地悪なのかもしれないね。オレが熊野別当だと知らせればいいのに」
「だって、そんなことしたらヒノエくんが困るでしょう?」
「まあね」
別当だと知られたら困るから黙ってるんでしょ?
本人が隠そうとしてることを、簡単に口外するほど最低な人間じゃございませんよ。
「言っとくけど、私は意地悪なんかじゃないからね」
さっきの言葉を取り消しなさい、とヒノエくんを軽く睨んだ。
もちろん本気で怒ってなんていないけど。
彼もそれを分かってるみたいで、ふふっと笑った。
「分かってるよ。逆に素直すぎて困るぐらいだ」
「はいはい。素直じゃない人間に素直だって言っても、嫌味にしか聞こえませんよーだ」
可笑しそうに笑うヒノエくんに、少し頬を膨らませてそっぽを向く。
いつ私が素直になったというのかしらね。
いっつも捻くれて、自分の思ったことなんてそうそう言わないのに。
え?十分遠慮なく口に出してるって?
そこはスルーよ、スルー。
「いや、十分素直だと思うけど?」
「どこがっ…」
まだ言うか、と言わんばかりに反論しようと思ったら…
いきなり目の前が真っ暗になった。
というか…目の前を何かに塞がれているような…?
視界を遮ったものが、ヒノエくん自身だと気付くのに数秒。
腰に回された腕が、彼のものだと気付くのに更に数秒。
でもって…
「そうやって直ぐに顔にでるところが、ね…」
と耳元で囁かれた言葉の意味を理解するのに、数十秒。
合わせて約1分間、私はどこぞの銅像のごとく固まってしまっていた。
「―――…っ!?何言ってるのよ!?顔にでてなんか…」
「いないわけないだろ?今だってほら、真っ赤になってるけど?」
全力で否定しようとしたけれど、あっさり返されてしまった。
しかも、本当に顔が真っ赤になってるんだから…
そりゃもう、火が出るんじゃないかってくらい。
だから、否定できるわけもなく。
口をパクパクすることしかできなかった。
「何でもいいけど、とにかく放してっ…」
何とか出せた言葉は、またまた何とも可愛くないもので…。
これのどこが素直だというのか。
私はバタバタヒノエくんの腕の中で暴れてみたけれど、全く効果なし。
これでも一応鍛えられてる私が抜け出せないなんて、やっぱり一般人とは違うんだと思ってしまう。
いや、分かってはいましたけれど。
「このまま、二度と逃げられないようにするっていうのも…いいかもしれないね」
全く悪びれた様子もなければ、放してくれる素振りもない。
一言文句を言おうと顔を上げれば、意外にもそこには真剣な表情のヒノエくんがいて…
一瞬不覚にもドキッとしてしまう。
「なっ…何言ってるの」
「そのままの意味だけれど?」
私を捕まえている彼の腕に、更に力が込められたのが分かった。
このままではいけないと、私の頭で警告音が鳴る…。
確かに、避けるのはよそうと約束したけれど…
もう少しだけ、一緒にいようと…
せめてギリギリまで、敵でありながら仲間でいようと思ったけれど…
これ以上は近づいてはいけない―――…。
彼のためにも…
私のためにも…
「そういうことは、本当に大切な人に言ってあげなさいな。ほら、お客さんみたいだよ?」
至極冷静を装って、私は門の方向を指差した。
同時に聞こえてきたのは、若い女の子の声。
「ヒノエ殿が戻ったと聞いたのですが!?」
「いらっしゃるのですよね!?」
「お会いしたいですわ!」
それも複数の。
声の数からしても相当な人数がいるんだと思う。
門からこの縁側までは相当な距離があるけれど…
それでも気付いていないとは言わせないよ?
「オレには分からないけどね」
と、そ知らぬふりをするヒノエくん。
それに『嘘をおっしゃい』と苦笑すれば、彼は盛大なため息をついた。
でも、気付いてないはずはないでしょ?
熊野別当ともあれば、それなりに訓練は受けているはず。
視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚
五感全てを普通よりも高める訓練も受けてるでしょう?
なら、この声が聞こえないなんて嘘は通じませんよ?
「早くしないと、可愛い女の子達が帰っちゃうよ?ほら、早く行った、行った」
私は突っぱねるようにヒノエくんの体を離す。
ヒノエくんは『参ったな』と呟いて
「オレにとっては、のことの方が大事なんだけどね?」
と、まだ何か言っていたがそこは無視の方向で。
だって、いちいち相手にしてたらキリがないし。
本気じゃないことも十分承知してますから。
「はいはい、そういうことは本命にいいなさいな」
とヒノエくんを門の方へと送り出す。
素直に思ったことを…というより考えたことを口にするのはいいけれど…
本命さんに聞かれたらまずいんじゃなくて?
その容姿、言動でモテないはずがないんだから。
いるんでしょう?本命だと言える相手が。
「やっと静かになったわ…」
私が一人ぼやきながら歩いているのは、本宮の一番奥の辺り。
ヒノエくんがいなくなると同時に聞こえた悲鳴。
それはもう、恐怖とかそういう類のものではなくて…
甘い黄色い悲鳴。
そうまるでどこぞのアイドルの追っかけさんのような、ね。
あの場所にそのままいたんじゃ、会話が嫌でも聞こえてしまう。
それが嫌で、声が聞こえないところまで歩いてきたというわけ。
今ほど、この良くなりすぎた聴覚を恨んだことはないわ。
でも、さすがにこんなところまでは声は聞こえてこない。
「それにしても、本当に困った子よね。あれで私より年下だって言うんだから、信じられないわ」
完全に独り言。
もし辺りに誰かいたら、頭が可笑しいんじゃないか?って思われると思う。
だって、とにかくブツブツ文句を言いながら歩いてるんだから。
「おや、お嬢さんは…?」
その声にハッとして顔を上げれば、そこには知らない男の人が立っていた。
どこか人懐っこい笑みを浮かべている。
こんな奥に、人なんていないと思っていたから少なからずや驚いてしまう。
そして同時に不安になった。
誰もいないと思って独り言を言っていたけど…
「あの…もしかして聞いてました?」
「いや、何も聞いてはいないが?それよりも、お嬢さんは何でこんなところにいるんだい?」
変人扱いをされずに済んだことにホッと胸を撫で下ろし、同時に自己紹介がまだだったことを思い出す。
それにしても…この緋色の髪、この笑み…
…ヒノエくんにそっくりのような?
「あ、すみません。私はって言います」
でも、とりあえずは自己紹介が先だと、自分から名乗る。
そこらへん、ちゃんと礼儀はわきまえてるつもりだ。
ここ熊野じゃ私は完全によそ者なわけだし。
「なるほど、お嬢さんがヒノエの言ってた子か」
とても面白そうに私を見下ろす男の人。
って、ヒノエくん…一体この人に何を言ったのよ?
まさか変なこと言ってないでしょうね?
「あの…失礼ですが、あなたは…?」
とにかく相手が誰か分からないと、話もし辛いというわけで。
名前を尋ねてみれば、意外というか…妙に納得できる答えが返ってきた。
「悪い悪い、そうだったな。俺は湛快だ。藤原湛快。ヒノエの父親だよ」
ヒノエくんとは違う豪快な笑い方。
でも、その自身ありげな感じはやっぱりヒノエくんにそっくりで…
確かに親子だと言われないほうが、逆に変な感じかもしれない。
でも、そこで少し疑問なんですが…
「私に本名言ってもいいんですか?ヒノエくんが熊野別当だってバラしてるような気がするんですが…」
おそるおそる聞いてみる。
それなりに話を少しでも聞いたことのある者なら、直ぐに分かるだろう。
前熊野別当・藤原湛快。
その息子がヒノエくんだというなら、それはヒノエくんが現熊野別当だっと告白しているようなものだ。
「お嬢さんは最初から知ってるだろう?だったら隠しても意味はないさ」
と私の心配をよそに、湛快さんはまたまた豪快に笑った。
なんか、心配した私が馬鹿みたいに思えてくる。
どうやらヒノエくんは、私がすでに彼の正体を知ってることを話してあるみたいね。
なら、別にへたに隠し立てする必要もないか。
「どうだい?あいつは迷惑かけていないか?」
「いえ、迷惑はかけられてませんよ?どっちかっていうと私がかけてる方じゃないかと」
「ならいいんだが。もしあいつが馬鹿をやったら、遠慮なく殺ってくれていいからな」
なんか今、サラッとすごいこと言いませんでした?
自分の実の息子に対して…殺っていいって…大丈夫?
それに、知らないからしょうがないとは思いますけど…
私に言ったら、洒落になりませんよ?
「お嬢さんは、源氏の奥方に仕えてるんだろ?」
その台詞には、正直驚いた。
何故そこまで知っているのかと…一瞬ヒノエくんが話したのか?と疑ってしまう。
でも、どうやらそういうわけではないようだった。
「昔ヒノエが源氏の屋敷に侵入したときのこと、覚えているかい?」
「ええ、もちろん」
忘れるはずがない。
あの日からずっと、一日だって忘れたことなど無い…。
あの物怖じしなかった強い目を、鮮やかな緋色を…忘れられるはずがなかった。
「あの時、帰ってきたあいつを俺は酷く叱ったんだがな。何を見たのかと聞いたら一言『…』とだけ言ったんだよ」
「それ…」
「ああ、お嬢さんの名前だな。さっき名前を聞いてピンときた」
意外だった、ヒノエくんが私の名前を覚えていた時も驚いたが、その父親までもが私のことを知っていたなんて。
なんて記憶力のいい親子なのか。
「あれからずっと、暇さえあればお嬢さんのことを調べていたみたいだがな。なにせあいつも自由の身では無かったから、結局名前以外は分からなかったみたいだったんだよ」
「自由の身ではなかった?」
あんなに勝手に動き回っておいて?
私があの時読んだ記憶では、何度も屋敷を抜け出してたみたいだけど…。
それでも自由じゃなかったって…。
「あはは、どうやらあいつが抜け出してたことも知ってるみたいだな」
訝しげな私を見て、湛快さんが声を上げて笑った。
ええ、知ってますとも。
でも、確かに自由では無かったのかもしれないね。
私があの頃ヒノエくんの存在を知ったのだって、仕事の関係でだったし。
あの頃まだヒノエくんの存在はあまり公表されてはいなかった。
所謂箱入り息子だったわけ。
そりゃ、熊野別当に息子がいるとしたら…
別当の座を狙っている奴らにとっては、邪魔な存在でしかない。
次の別当になる人物が、まだ子供だというなら…
消すのはたやすいからね…。
いい標的だというわけだ。
それが明らかだったら、普通はそれなりに大きくなって身を守れるようになるまで、屋敷の中で行動を制限する…
至極普通のことだ。
「やっぱり、昔から結構やんちゃな子供だったんですね」
思わず笑いが込み上げてしまう。
どんなに大人ぶっていたって、やっぱりたまに見え隠れする仕草は、歳相応のもの。
そういうところは、やっぱりまだ少年なんだなって思っていたから…
だから、昔の話を合わせて考えると…どうしても可愛いと思ってしまう。
「やっぱりお嬢さんもそう思うか?」
「はい」
二人で顔を見合わせて笑い合っていたときだった…
「おい、何でこんなところにいるんだよ」
不機嫌そうな声が聞こえてきたのは。
声のするほうを振り向けば、声と同じくものすごく不機嫌そうな顔をしたヒノエくんがいた。
「ヒノエくん、お父さんにその言い方はないでしょ?」
ほとんど笑いを堪えて、私が言えば…ヒノエくんは不満そうな顔をした。
そんなことまで言いやがったのか、と言わんばかりだ。
「まで…。ったく、とにかく隠居したなら大人しくしとけよ」
ヒノエくんはあっちいけよ、と湛快さんを手で追い払う仕草をする。
それが微笑ましい反面、羨ましかった。
「久しぶりに会ったんでしょう?もう少しゆっくり話したら?」
「おい!?」
邪魔者は消えるから、とスタスタ歩き出した私を引き止めるようにヒノエくんが名前を呼んだ。
それでもそれを無視して歩いた…。
+++++++++++++++++++++++++++++
女の子達を何とか帰して、元の場所に戻ってこればはそこにいなかった。
何処に行ったのかと思って、探してみれば…
厄介な奴と一緒にいた。
楽しそうに笑うを見て、安心した。
最近はいつも何か考え込んでいて、心から楽しそうに笑うなんてことなかったから。
その相手が、オレじゃなくて…オレの親父だってことが少し気に入らないけどね。
「おい、何でこんなところにいるんだよ?」
オレが不機嫌そうに声をかければ、笑ったままが振り返った。
そんなに笑える話って…一体何を話してたんだろうね?
まあ、それは後でゆっくり聞かせてもらうとするよ。
「ヒノエくん、お父さんにその言い方はないでしょ?」
相変わらず笑いを堪えたままの。
オレの顔を見て笑いを堪えてる気がするのは、気のせいかい?
第一…オレと親子だって話したのかよ…この親父は。
「まで…。ったく、とにかく隠居したなら大人しくしとけよ」
オレが早くどこか行けと言わんばかりに、手で追い払う仕草をしたら…
親父は『分かった分かった』と手を軽く振って去ろうとした。
でも、そんなオレ達に掛かったのはの意外な台詞。
「久しぶりに会ったんでしょう?もう少しゆっくり話したら?」
そう言った彼女は微笑んではいたけれど、さっきの笑い方とは違って見えた。
オレが引き止める声も無視して、さっさと歩き出してしまう。
「追いかけなくていいのか?」
横から親父が、真剣なのか楽しんでいるのか分からない声で問いかける。
ったく、アンタがまた何か余計なこと言ったんじゃないのか?
追いかけなくていいのか?
そんなこと言われるまでもない。
「いいわけないだろ。いいから帰ってろよ」
そういい残して、オレはの後を追った。
すぐにの姿を見つける。
「」
名前を呼べば、少し驚いたように彼女が振り向いた。
「何で?お父さんは?」
「追い返してきたんだよ。それよりも今はこっちの方が重要だからね」
「あーあ…湛快さん可哀想。息子にこんなに冷たくされて」
は、やれやれといった仕草をした。
どうせ親父は冷たくされたと思ってないから、大丈夫だと思うけどね。
昔からこうだから、別段気にすることではない。
「いいんだよ。隠居したなら大人しくしててくれればいいんだけどね。ったく、オレに面倒事全て押し付けやがって」
まだ隠居する歳でもないだろうに、とオレがぼやいたらがふふっと笑いを漏らした。
『お父さんに信用されてるんだね』と。
そりゃ信用されてないとは思わないが…
でも不満があるのは事実だ。
どう見たって、まだ親父は十分別当としてやっていける。
「私もあんなお父さんが欲しかったな」
突然、が言い出した台詞。
思わず『何を言い出すんだ?』と凝視してしまう。
あんな親父の何処がいいんだ?と。
「ヒノエくん、あんな親父の何処がいいんだ?って顔してる」
可笑しそうに笑うは、さっき親父に向けてた笑顔と同じものを浮かべていた。
全く、本当に敵わないね。
力を使わなくても、オレの考えてることはお見通しってことか。
「の父親はどんな人なんだ?」
興味本位で聞いたこの言葉。
それを次の瞬間にオレは激しく後悔した。
ふと一瞬だけだが、が寂しそうな顔をした。
「私ね、お父さんがどんな人か知らないの」
会った事もなければ、話すら聞いたことも無いと…
至極普通を装って話す彼女をみて、また辛い思いをさせたと内心舌打ちする。
「私がいるんだから、父親がいなかったってことはないと思うけどね」
そう言ったは、少し遠くを見るように空を見上げた。
何も知らないから、意外と平気なんだよ?とは笑うけれど…
そんなはずはないだろう…?
父親の顔を知らずに育った彼女…
母親にも捨てられて…
どうして笑ってられるんだ…?
だから人を頼ろうとしない?
頼り方を知らないのか?
何故…彼女ばかりが辛い思いをする?
どうして、ばかり…
一人悩まなくてはいけない…?
オレは、を…救えないのか?
助けにはなれないのか―――…?
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あとがき
初めてヒノエ視点で文が終わった!
まさしく奇跡!!
そして湛快さん登場!何気に好きです、このお父さん。
でも、ヒノエが大きくなっても、あんなに体格よくなりそうにないと思うのは…
私だけ?