『帰さねぇよ』

その言葉に、私の心の中で涙が溢れた―…。










涙はいつまで流れるの











船から一際大きな歓声があがった。
皆が手を取り合って喜んでいる。
戦の終わり…
それを意味する歓声は…
私と彼の別れも意味していた…。

「帰さねぇよ」

ヒノエくんがその緋色の髪を、船に吹く風になびかせた。
帰さない、それは元の世界…私達の本来いた世界に帰すことを指している。
望んでいた言葉だった。
言って欲しいと…そう思っていた言葉だったのに…。

「馬鹿だな、海賊が一度さらった姫君を返すわけないだろ?」

でも、それらの言葉は私に向けられたものではなかった…。

「い、いいの…?」

言葉を向けられたのは他でもない彼女…。
私と同じ世界から来て、白龍の神子となった彼女は…
私の親友だった…。

『当たり前だろ?嫌だと言われてもさらって行くよ』
そう言われて、望美は頬を染めて、幸せそうな笑みを浮かべた。
その笑顔が眩しくて、思わず目を背けてしまった…。
















「本当に帰っちゃうの?」

京は戦が終わった事でちょっと騒がしいから、と私達は熊野へと身を寄せていた。
戦も終わり、源氏から離れる事を決意した私。
そんな私が、数日のうちには元の世界へと帰る決心をしたのは帰って来てすぐ。
元々そんなに荷物もなく、後は一緒に帰る譲くんの準備が整うのを待つだけ。
別れを惜しむのも後数日だ。

「うん、帰るよ。私の役目も終わったしね」

応龍の神子である私は、この世界に応龍の加護が戻った今、役目は終わった。
もうこの世界に残る理由もない。

「そっか…。あのさ、せめて帰るのを延ばすことはできない?」

帰るという私に寂しそうな顔をして…
でも、言葉の後半は照れたような、恥ずかしそうな感じを含んでいた。

「どうして?」
「あのね…。ヒノエくんとの婚儀にたちも出席して欲しいなって思って」

幸せそうな微笑みが私に向けられた。
二人が祝言をあげるのは知っていた。
だから、逃げるように向こうの世界に帰るのを決めたのだ。

私に出席して欲しい…。
そう言ってくれるのは、単純に嬉しかった。
でも、それを素直に喜ぶ事なんて出来ない…。




どうしてそんなこと言うの…?
私に見せ付けたいの?




そんな卑屈な言葉が頭を巡る。
望美は知らないから…
私がヒノエくんを好きだと言う事を知らないから…
仕方の無い事だというのに…。

、どうかした?」

呆然としたまま、返事をしない私に望美が心配そうに声をかける。
その声にハッとした。

「ううん、何でもない。考えておくよ。譲くんとも相談しなきゃいけないし」

とは言っても、彼もきっと渋ると思う。
私がヒノエくんを好きなように、譲くんは望美に想いを寄せているのだから…。

『ちょっと譲くんのところに行ってくるね』

と笑ってその場を急いで離れる。
これ以上、望美の幸せそうな顔を見ていたら…私は彼女に一体何を言うか分からない。

望美が知らないのは当然なのに…。
私が何も言っていないのだから、知らなくて当たり前…。
彼女を責める事などお門違いだと分かっているし、責めることでも無ければ、責める資格も無い事を知っている。
本当なら、彼女の幸せを祝ってあげなきゃいけないのに。



『良かったね』
『おめでとう』



どうしてその言葉が出てこないの…?
何て私は嫌な人間なんだろう―…。














「先輩がそんな事を…?…ですが僕は…」
「だよねぇ…」

やっぱり予想通り、望美の願いに譲くんも困惑の表情を浮かべた。
それに共に頷いて、結局帰る日の変更はしないと決めた。
簡単にスパッと潔く諦められたらいいのにね…。
でも、そんなに私達は強くも無ければ、半端な思いだったわけじゃない。
いつか心から祝福できるにしても、今はまだ時間が足りなさ過ぎる。

「じゃあ、望美には私から伝えておくね」
「はい、お願いします」

そう言って、譲くんと別れて…私は一人で夜の熊野へと出かける。
さっきのことを伝えるのは頭を冷やしてからにしようと思ったから。
厩を管理してる人に一言断って馬を一頭借りる。
馬を走らせながら熊野の町を見て回った。

ここにも、色々な思い出があるよね…。
本宮・熊野川・速玉大社・勝浦・熊野路…
何処を見たってヒノエくんとの思い出ばかりつまっている。
でも、今は…思い出される、思い出一つ一つが辛くて仕方が無い。

彼が好きだと言った熊野が、私も好きだった。
熊野を大切にしている彼が大好きだった。
でも、今は…胸を張って言う自信が…無い…。
望美に持っているのは、嫉妬にも似た感情で…。
ヒノエくんには、逆恨みとも言える感情…。




いつから彼への気持ちに気づいた…?
いつから彼に惹かれていった…?
この熊野で?
ううん、違う…。もっと前だ。
なら、京で再会したとき?
それも違う…。
きっと…私はあの日から、彼に惹かれていたんだと思う。
10年前、頼朝の屋敷に忍び込んだヒノエくんに会った、あの時から。

なら、もっと前に気持ちを伝えていたら、何か変わった?
ヒノエくんが望美ではなく、私を好きになってくれた?




答えは…否、だ。




きっと、私がもっと早くに気持ちを伝えたところで何も変わらなかった。
ヒノエくんが私を好きになってくれる事なんて、無かったと思う。
それほどに、彼は望美だけを想っていて…
二人の絆は深かった。

じゃあ、もしも今、私が彼に気持ちを伝えたら?
そうしたら彼はどうするかな?
きっと…困ったような笑みを浮かべるだけだろうね。
他大勢の姫君たちと同じようにやんわりと、でもハッキリと突き放されるだろう。
普段は軟派な性格をしているけれど…
でも、本当の彼は誠実で…一筋で真面目だから…
絶対に望美の手を離したりしない。
ましてや、同情で上辺だけの優しさで、私の手を取ってくれる事などしない。
それほどに、彼は本当の意味で優しい人だから…。




そんな彼だから好きになったの…。
そんな彼に幸せになってほしかったの…。




思わずハッとした。
そうだ、私は…
ヒノエくんが望美のことを好きだと知る前の私は…彼の幸せを願っていたはずだ。
その彼が今、幸せを掴もうとしているというのに…
私は一体何をやっているというのだろう?
二人の仲に嫉妬して、逃げるように現代に帰る決心をして。

「大馬鹿者だなぁ…私」

情けないにもほどがある。
望美もヒノエくんも辛い戦を乗り越えて、やっと幸せになれるのに…
それをぶち壊すつもりなの?
自分の身勝手な感情一つで…?
仲間として戦ってきて、多くの優しさをくれた恩を…仇で返すつもりなの?
人を信じる事を教えてくれた望美に…
人を好きになる事を教えてくれたヒノエくんに…
今、私ができることをするべきだよね?

彼のことを諦められたわけじゃないけど…
八葉としての彼。
別当としての彼。
戯れの言葉を囁いて、軟派な性格の彼。
本当は誠実で真面目な彼。
どんな彼も私が好きになったヒノエくん。
そして…私はそのどの彼より、『一途に人を想える彼』を好きになったはずだ。
その想われる相手が、自分じゃなかっただけの話。
望美を一途に想う彼が…誰より何より好きなんだ―…。












「ごめんね、譲くん。私やっぱり二人を祝ってから帰ろうと思う」
「え?でも、さんは…。いいんですか?」

帰って開口一番、譲くんにそう宣言した。
彼の問いに微笑む。
きっと、苦笑いにも似た表情だったかもしれないけれど…。

「いいの。望美を好きな彼も、私が好きになった彼だから」

上手く笑えなくても、それでも私の心は晴れ晴れしてるよ?
もう気にしてない、なんて決して言えないけれど…
二人を祝ってあげようと思うのは、本当の気持ちだから。

「譲くんに無理に残れとは言わない。先に帰ってくれてもいいよ?」

私がそう思ったからといって、譲くんがそう思っているわけじゃない。
きっと、彼はまだ二人の姿を見るのは辛いはずだ。
私だって、辛くないと言えば嘘になるけれど…。
でも、それ以上に幸せを願う気持ちの方が強い。

「僕も残りますよ…。二人の婚儀が終わるまで」
「譲くん…大丈夫なの?」
「ええ。さんに言われて気が付きました。先輩が誰を好きでも、僕が先輩を好きな気持ちは変わりませんから」

だから、僕も先輩が幸せならそれでいいんです…と少しだけ譲くんは微笑んだ。

「そうだね。私も好きな人の幸せを願ってるよ…」












『おめでとう』と誰からも声をかけられて、二人は本当に幸せそうだった。
婚儀が終わるまで残る、と言った私達に二人とも本当に喜んでくれて。
この笑顔が見れただけで、もうそれだけで良かった。

「ありがとう、。無理言って引き止めてごめんね?」
「いいよ気にしなくて。私が決めた事だしね」

とうとう別れの日。
本当に多分もう会う事はないだろう。

「姫君は本当に帰るつもりなんだな」
「はい、そこ!望美以外の人に姫君なんてもう言わないの」

帰りますよ。
いくら諦める決心がついたとはいえ、目の前で幸せを見せ付けられて平気なほど強くないので。

「参ったな…。でも、本当にいいのかい?は帰っても…誰もいないんだろ?」
「ま、ね。それでも帰るよ」

確かに帰った先、その時空には今の私を…成長した私を知る人なんで一人もいない。
だって、幼い頃に望美たちに出会ってこの世界についてきて、一人だけ12年前の時空に飛ばされたんだから…。
譲くんと同じ時空に帰るということは、その時空にいる私は…幼い私。
その時空に帰る選択をしたのも、他でもない私。
あなたに会う前からやり直す…というわけじゃないけれど…
初心に戻って、始めからやり直してみようと思う。
本当の私の世界で。

なら、すぐに向こうの世界でも大切な奴が出来るさ」

そう言ってヒノエくんは笑った。
そうだね。
それを教えてくれたのは、他でもないあなただものね。
自分の心一つで、大切な人は出来るって…。
あなたが身をもって教えてくれた。

「きっと、みんなより大切な人はできないけどね」

と微笑み返して。
私達が帰ると連絡を受けて、九郎さん・弁慶さん・景時さん・敦盛くん・先生・朔が駆けつけてくれて。
それぞれにお礼と別れを告げた。
将臣くんだけはいなかったけれど。
彼は平家の人と共に、南へ行ってしまったから。
でも、彼も私と同じように順応力だけはありそうだから、大丈夫よね。

がもし結婚する時には教えてね。逆鱗使って飛んでいくから」
「逆鱗で来るのは問題ないだろうけど…。知らせるのはどうやってすればいいの?」

また無茶苦茶なことを言い出す望美に苦笑する。

「えっと…夢で?」
「私は星の一族じゃないって。でも、もしも知らせる方法があるなら、絶対に教えるよ」

そう約束して…。
私達はタイムリミットを迎えた。

『準備はいい?』

白龍の声と共に、体が光に包まれる。
だんだん目の前にいるはずの望美とヒノエくんの顔も見えなくなってきた。
そのときにヒノエくんの声が聞こえた。



『ありがとう、



と…。
その瞬間、ずっと心の中で溢れ、流れていた涙が…
止まった気がした…。

彼は気づいていたかな?
私の気持ち…。
以前はその気持ちが伝えたかった…。
でも今は…

「私こそ、ありがとう…ヒノエくん…」

ありがとうの言葉を伝えたい。
言葉を紡いで…
そしてやっと…
今度こそ心の涙が止まった―…。












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あとがき
涙って目に見えるものだけじゃない、と思って出来た作品。
長編読んでない方には、少々分かりにくい部分があってすみません。
一応出来る限りは本編と関係ないようにしたんですが…。
クリスマス前に公開する作品が、失恋物なんて(苦笑)
クリスマスなんて〜大嫌いさ〜♪

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