きみへのお願い…

聞いてくれますか―…?






お願い






「見てください、弁慶さん!ほらっ」

僕達が頼朝公の手を逃れて、この奥州・平泉に来てから数ヶ月。
吐く息もすっかり白くなった。

さん」

まだ朝早く、庭から聞こえる声に目を覚まし、僕が障子を開ければ…
そこには彼女…さんの姿があった。
一面真っ白な世界の中で、白龍と二人ではしゃいでいた彼女は、僕の姿を見て嬉しそうに微笑んだ。

「これ、何に見えます?」

さんが指差す先、そこにはいくつかの雪だるま。
何に見えるかと聞かれれば、当然…

「雪だるま、ですよね?」

と答えるしかない。
でも、どうやら言いたいことは違ったらしい。
ん〜…?と何か考えるような仕草をして、首を捻った。

「聞き方を間違えたみたいですね。えっと、これ誰に見えます?」

ともう一度微笑んで…
『二人で頑張って作ったんだよね』
と白龍と顔を見合わせた。

「誰、ですか…」

思わずその雪だるまを凝視する。
でも、見れば見るほど全て同じに見えてきてしまう。
確かに少しずつ表情に違いはありますが…。

「はいっ、時間切れです」

ふふっ、と悪戯っぽく笑った彼女。
その横で白龍が新しい雪だるまになるであろう、雪の塊を転がしながら笑った。

「これ、皆八葉だよ」
「僕達ですか?」
「はい。でも、まだ完成してるのはヒノエくんと景時さんだけなんですけどね」

『この二人って、宝珠の位置が分かりやすいから』とさんは言った。
確かに、8体並んでいるうちの二つには、額に赤い木の実を埋め込まれた物と…
胸部辺りに緑色の木の実を埋め込まれた物があった。

それに言われてみれば…
あの余裕そうに笑った顔と眉を下げた表情は…どこかヒノエと景時にそっくりだ。

「それで、これが弁慶さんですよ」

似ているでしょう?と言われて、その一体を見つめる。
それは普通に笑っている雪だるま。




これが、僕?
普通に…でも優しそうに微笑んでるこれが…?




僕はこんなに優しく笑う人間ではないですよ?
その事を…付き合いの長いきみなら、知っているはずでしょう?

「弁慶さん、『僕はこんなに優しく笑いませんよ』って顔してる」

驚いた。
今考えた事をそのまま言い当てられて…。
本当に、きみには敵わない…。
優しく微笑む瞳は、何もかもを見透かしてしまうのですね…。

「でも、それって…弁慶さんがそう思ってるだけだと思いますよ?」
「そうですか…?」

きみだって分かっているはずなのに。
それなのに、何でそんなことが言えるんです…?
僕が冷たい人間だと、きみは誰よりも知っているはずなのに…。

「そうですよ。まあ、確かに弁慶さんのいつもの笑い方って、こういう感じではないですよね」

一体何を言いたいのかが分からなかった。
僕は優しく笑う人間だと言ったのに…
次の言葉では、そういう笑い方はしないと否定する。

「でも、弁慶さんは…心の中では優しい笑みを浮かべてるって思うんです。この雪だるまと同じようにね」
「心の中でですか?きみは僕が本当は優しい人間だと?」
「実際そうでしょう?いつも浮かべている笑みは、人懐っこい笑みですけど…実際はその笑みで人と一線引いてますよね。でもそれは、人を傷つけたくないって優しさからじゃないかなって思うんです」

確かに、僕は誰にでも笑顔を向けて…
でも、その笑顔で逆に人との距離を保とうとしている…。
それが…他人を傷つけないためだと、きみはそう言うのですか…?

「違うって言うなら別にそれでもいいんです」

さんは少しだけ照れたように、言いにくそうに…笑った。

「でも、少なくとも…私はそう思ってますから。忘れないで下さいね?」

彼女は…本当の僕は優しい人間だとそう言ってくれて…
正直嬉しかった。
非情な軍師の一面を…それどころか、昔の荒れていた時期の僕を知ってもなお、そう言ってくれる。

「そうだ。良かったら一緒に遊びませんか?」
「弁慶!早く!」

僕に手を差し出す彼女と、手招きしている白龍。
思わず笑みがこぼれた。

さん…気づいていますか?
僕は…きみには、いつでも本当の笑みを向けているんですよ?
きみが優しいと言ってくれるその笑みを…。





きみの微笑みの方が、何倍も優しいですけど…ね。





その微笑みに何度救われたことか。
今も昔も…出会ったときからずっと…。
きみに救われて来た…。





『僕は…だから、きみを好きになったんですよ』





「え?」
「いいえ、何でもありません」

小さな呟き…。
未だに伝えたことのない想い。
でも、いつか伝えられるでしょうか…?
僕を優しい人間へと変えたのは…
他でもないきみなんです、と…。

「もし、風邪を引いたら…僕が責任持って看病して差し上げますよ」
「私は風邪なんて引きませんよ?ほら、言いますよね?馬鹿は何とかって」

『だから、弁慶さんの方が心配です』と笑って。
もし、僕が風邪を引いたのなら…

「きみが看病してくれますよね…?」

と後ろから包むように抱きしめる。
すると、暫く固まっていたさんは…
急に耳まで真っ赤にして。

「当たり前でしょう?」

と小さな声で呟いた。
その仕草すら愛おしくて…。
幸せだった。

ずっと戦に身をおいてきた僕にとって…
彼女との時間が一番幸せなときだった。
戦から離れたこの平泉。
此処でずっと、この幸せが続くような気がしていた…。
そう、あの時までは―…。















「きみ達は先に逃げて下さい」

逃げる用意を整えた九郎たちに言う。
源氏の軍が…この平泉に攻め入ってきたのだ。
僕達を捕らえるために…そして、力をつけた藤原氏をつぶすために。

「弁慶はどうするんだ?」
「後から追いかけますよ。いいですか?僕の策を成功させるためには、きみ達の協力が必要なんです」
「何だ?」
「絶対に振り返ったり、戻ってきてはいけません。逃げる事だけに専念して下さい。僕なら心配いりませんから」

この緊迫した状況でなければ、きっと誰かが気づいたであろう。
僕の言ったこの嘘に。

「本当に…大丈夫なんですね?」

さんが、不安そうに僕の腕を掴んだ。
見つめる瞳は悲しそうで…寂しい色を浮かべていた。

「ええ、大丈夫です。だから安心して先に行ってください」

僕が浮かべた笑みを、彼女がどうとったかは分からない。
でも、その時…不覚にも僕は気づくことができなかった。
『分かりました』と微笑んだ彼女の笑みの意味を…。

僕に背を向けて去っていく皆の姿を暫く見つめて…
自身もまた、皆に背を向けて歩きだす。
源氏の軍が来るであろう方向へ…。

「策なんてありませんよ…」

圧倒的な人数を誇る源氏の軍。
藤原氏の兵力ですら対抗できないというのに…。
それを一掃する策などあるはずがない。

ただ、生き残ってほしかった。
仲間と…そして…
優しい彼女に…。
僕を優しいと言ってくれた…愛しい彼女に…。
そのためならば、自分の身を犠牲にしてでも…時間を稼ぐ。

「いたぞ!武蔵坊弁慶だ!」
「一人か!?」

視界に源氏の兵士が現れる。
飛び掛ってくる兵士をなぎ払っていく。
たとえ、意味のないことだと分かってはいても。
それでも、できる限り時間を稼げるだけ稼ごうと…。

前方から射掛けられた矢。
そのうちの数本が、僕の足を捉えた。

「通しませんよ?」

その場に長刀を刺し、支えにして立ちふさがる。

「弁慶殿…」
「おい…どうする…」

今は追われる身であろうとも、元々は源氏の軍師であった僕を攻撃することに、多少の戸惑いを見せる兵。
それでも、彼らとしてもここを通らないわけにはいかない。

「やれ!」

響き渡った命令。
そして、次の瞬間には大量の矢が射掛けられた。
僕はその矢を黙って見ていた…。

この足ではもう、動く事は無理ですね…。
でも、もう時間稼ぎも十分できましたよね…?
何の悔いもない。
最後まで、九郎を…仲間を…そして、さんを…
守る事が出来たのだから。




唯一残る悔いといえば…
彼女に一言も『好きだ』と伝えられなかった事…。
でも、もう…それも遅い…。

「お別れですね…」

覚悟して、目を瞑った瞬間に届いたのは、矢が刺さる衝撃でも…
ましてや、死の感覚でもなかった。
ただ一言…
愛しいと思っていた彼女の声がした…。

「お別れなんてしてやりませんよ」

と…。
ハッとして目を開ければ、目の前に颯爽と立っているさんの姿…。
射掛けられた矢は、全て斬られ、叩き落されていた。

「どうして…?」

どうして彼女がここにいる?
九郎たちと共に行ったはずだ。
逃げ延びたはずなのに…。

「その話は生き残った後でしましょう」

僕を振り返ることなく、さんはそう言い放った。
表情は窺えず、分かるのは彼女が真剣なことだけ。
そして、いつもは優しく微笑む瞳が、敵を見る目へと変わっていることだけが…感じ取れた。

「九郎さんたちは十分遠くまで逃げ延びました。あとは、あなたと私が逃げ延びるだけです」

そう静かに言って…彼女はざわついている源氏の兵へと駆け出した。
目の前で舞う鮮血。
まるで舞っているかのような彼女を見て…僕は少しだけ微笑んだ。

「本当に敵いませんね…」

と…。
あの人数を相手にするのは、いくら彼女でも少しきつい。
もし全滅させようとするならば…全てを攻撃に転じるしかない。
身を守る事など二の次にして…。

ならば…
今彼女の代わりに、さんを守れるのは…?

「僕だけでしょう?」

傷ついた足に鞭をふるって自身も駆け出す。
さっきまでは、諦められたはずだった。
彼女の事を…さんを残していく事を…。
でも、再び会ってしまった…。
きみは戻ってきてしまった…。

「本当に、きみはいけない人ですね…」

僕の長刀が、ゆっくりと孤を描いた…。


















「一言、言わせてくださいね」

そう言って、彼女はスゥーっと息を吸い込んだ。

「馬鹿!」

こんなにもハッキリ馬鹿と怒鳴られたのは初めてで、思わず呆然としてしまう。
でも、きみも人のことを言えませんよね…?
僕の元へ戻ってきてしまったのだから…。

「とりあえずは、早く皆と合流して。ちゃんと傷の手当しなおさなきゃいけませんね。立てますか?弁慶さん」

あの後、なんとか逃げ延びて…
そして見つからない場所まで来ると、取り急ぎで傷の手当をした。

「ええ。なんとか」

と笑った僕に、彼女は『自業自得ですよ』と頬を膨らませた。
それでも、肩を貸して支えてくれるのだから…。

さん、一つ聞いてもいいですか?」
「何です?」

きっと彼女は何を聞かれるのか分かっていたと思う。
聞かれることなど一つしかないのだから。

「何で分かったんです?」

僕のしようとしてることが…
なぜきみは分かったんですか?
顔にも態度にも出していなかったはずだ。
どこも『大丈夫』という言葉に、疑う要素などなかったはずなのに…。

「覗いたんですよ。弁慶さんの記憶。貴方が何を思って、何を考え出したのか」

覗いた…。
それが出来たのは一度しかない。

『本当に大丈夫なんですね?』

と僕の腕を掴んだとき…。
そのときしか無い。

『分かりました』

と微笑んだのは…決して僕の大丈夫だと言った言葉を信じたわけではなかったのですね。
僕の策が何なのか、全てを理解して…分かったと、そう言ったというわけですね?

「正直、戻ってくるのを少し躊躇いました」

顔を真っ直ぐと上げて、前を見据える彼女。
その声も表情も、怒りを含んでいるのが分かる。

「あなたが皆のことと…私の事を考えてくれた結果の策だったから…」

そこまで読んだのかと思う反面…
悲しそうな色を含んだ瞳から目が離せなくなった。

「あなたの気持ちを無駄にするのが怖くて…戸惑ったんです…。でも…弁慶さんが私に生きて欲しいと思ってくれたように、私もあなたに生きて欲しい。好きな人に生きていて欲しい。だから、戻ってきたんです」

僕に生きていて欲しい…。
好きだから、生きて欲しい。
そんなことを言ってくれる人がいるなんて…
思ってもみなかった…。

「私も一つ聞きたいことがあります」
「何ですか?」
「弁慶さんは、私達が生き残る事を願っていたんですよね?自分ではなく私達が…。今もそう願ってるんですか?」

僕の願い…。
僕は…。
今の僕は…

さん、一つお願いをしていいですか?」

僕に生きて欲しいと言ってくれたきみへ、お願いしたい事ができました…。
鬼若と呼ばれ、虐げられた僕を…。
非情な軍師として、恐れられた僕を…。
好きだと言ってくれたきみに…。

「お願いですか?…いいですよ?」

さっきの怒ったような真剣な表情は何処へ行ったのか。
彼女はきょとんとして…。
珍しいですね、といった顔をした。

「生きてくれますか?ずっと…僕と一緒に」

『僕と一緒に…』
きみだけでじゃない…。
僕と一緒に生きてくれますか?

「当たり前でしょう?」

と嬉しそうに彼女は微笑んだ。
僕を包みこむような微笑み。




彼女が生き残ってくれるのならば…
さんが生きれるのなら…
自分の身なんてどうでも良かった。

でも、彼女は僕に生きて欲しいと言ってくれて…
僕も、彼女と生きたいと思ってしまった…。

彼女にしたかった『お願い』は…生き残って欲しいだった…。
でも、今は違う…




僕と一緒に生きて欲しい…

それが僕の…きみへのお願い―…。










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あとがき
はい、意味不明シリーズ第2弾!
かなりお題にこじつけたような作品にっ…(汗)
しかも何気に弁慶夢初書きだったり。
最近私の住んでるところでも雪が降りますが…平泉にはきっと住めないと思います。
寒いし、冷たいし、移動がし難いし。
見てる分には綺麗なんで好きなんですが。


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