散る様は儚げに…
だけれど、見た者の心を捕らえて放さない。
それは…
桜だけが持つ、一瞬の美。
桜酒
「もう、こんな季節なのか…」
このところ、何かと忙しくて溜まっていた書類を片付けて。
一息入れようと、廊下へと出てみれば、庭には見事な桜が咲いていた。
昼間は忙しくて中々気づかなかったが、夜になるとその淡い色は目につく。
まるで、一瞬捕らわれるかのような錯覚に陥るほどだ。
「ん?九郎か。そんなところで何やってるんだい?」
こっちに歩いてくる気配があるかと思えば、どうやらそれはヒノエだったらしい。
彼はつい最近、新しい八葉としてこの京邸やってきた。
「いや、見事な桜だと思ってな」
「へぇ。それにしても、今頃気づいたのかい?」
俺の目線の先にある桜に、ヒノエはチラッと視線を向けて。
初めて桜の存在に気づいたかのような俺の言葉に、呆れるような、面白がっているような笑いを漏らした。
「べ、別にそういうわけではないが…っ。それよりも、ヒノエはこんな時分に何をしているんだ?」
「オレ?オレは…」
『これ』と口の端を吊り上げて笑みを形作りながら、ヒノエが何かを差し出した。
差し出された右手には、酒。
左手には猪口を持っている。
「桜を酒のつまみに、一杯やろうと思ってね」
「あぁ、そういうことか」
そんな気分になるのも、分からなくはないな。
月見酒というのも、心惹かれるものがあるが…。
桜を見ながらの酒も悪くない。
こんなに立派な夜桜なら、尚更だ。
「折角だしさ、九郎もどうだい?どうせ暇なんだろ?」
「暇に見えるのか?」
「少なくとも、オレには見えるね。って、冗談は置いといてさ。どうする?」
少しだけ考えるような素振りを、俺は見せる。
ハッキリ言って、暇ではない。
今夜中に仕上げなければならない仕事が、まだ大分残っている。
本当なら、休憩すらとれるかどうかというところだったのだ。
「…少しなら構わないか」
休憩ついでに酒を酌み交わすのも、たまにはいいかもしれない。
第一、ここで断って部屋に戻り、仕事を始めたとしても…。
部屋の直ぐ外で、ヒノエに酒を楽しまれていては、気が散って仕方がないというものだ。
「なら、決まりだね」
ニッと笑って、その場に腰を下ろしたヒノエは、俺に猪口を差し出す。
俺もそれに倣って、ヒノエの横に腰を下ろした。
俺の猪口に酒を注いで、ヒノエは自分の猪口にも酒を注ぐ。
「ヒノエ、お前もしかして初めから…?」
「何の事?」
面白そうな視線を向けてくるヒノエに、ため息をついてしまう。
一人で酒を飲むつもりだったなら、猪口が二つあるわけがない。
全く…こいつは。
「多忙の大将殿に、少しは休息を…と思ってね。たまにはいいだろ?」
「それも、そうだな」
猪口に入った酒を見つめ、フッと笑みを浮かべると、俺は酒を口へと運んだ。
+++++++++++++++++++++++++++
「酒と言えばさ」
暫く二人でただ黙って酒を飲んでいたけれど。
唐突にオレは話を切り出した。
「なんだ?」
返ってくるのは、当然わけの分からないといった返事。
横顔に九郎の視線を感じつつも、目線を向けることはなく。
思ったことをそのまま聞いてみた。
「九郎はと酒を飲んだことはある?」
「と?突然どうしたんだ?」
「いや、ちょっとね」
っていうのは、所謂、応龍の神子姫。
姫君っていっても、刀の腕も実力も、そして頭のキレも度胸も男が舌を巻くほどだけど。
舌を巻くのは、それだけじゃなかった。
それが何なのか、気づいたのは少し前。
彼女と酒を飲む機会があったときのこと。
「それでねー」
酒を飲みながら、色々な話に花を咲かせていたオレ達。
オレの昔話や、熊野のことを話して。
話は、の幼少の頃や修行時代のことに差し掛かっていた。
「あれ?ヒノエくんどうしたの?」
話しかけたことを中断して、がオレに不思議そうな視線を向ける。
ずっと黙って、どこかボーっとしていたオレを不審に思ったようだ。
の様子に、オレは苦笑にも近い笑みを浮かべて。
ついたのは、小さなため息。
「あのさ。一ついいかな?」
「いいよ?」
きょとんとしているに、更に苦笑を濃くしてしまう。
「もしかして、は酒に強かったりする?」
「酒?…そうでもないと思うんだけど」
強くないとは考えるように言った。
でも、オレ達の周りを見れば、空になった酒の数々。
すでに数えるのも面倒なほどに、転がった空いた酒。
そして、オレ以上に飲んでいるはずの彼女。
これのどこが、強くないと言うんだい…?
「あ、もしかして…ヒノエくん、酔って来てる?」
だから、様子が可笑しかったのかー、と彼女は笑って。
『じゃあ、これはお預けね』
と、残った酒を全て自分の側へと寄せる。
どうやら、残りは全部自分が飲むつもりのようだ。
「意外と弱いんだね、ヒノエくん。もっと強そうな感じがあるのに」
くすくすとは笑ったけれど。
ちょっと、不満に思ったのも事実。
「オレが弱いんじゃなくて、が強すぎると思うんだけど?」
「そう?でも、ヒノエくんにもそんなところがあったなんて…。何か可愛いかも」
「、男に可愛いって言っても褒め言葉じゃないって」
「十分褒め言葉ですよー」
ホント、何を言っても敵わないと思った瞬間だった。
「って、酒に強いだろ?」
「…ヒノエもそう思うのか?」
心なしか、九郎の顔が青ざめているような気がする。
どうやら、驚きの体験をしたのはオレだけじゃなかったようだった。
「強いって言うかさ…、何て言うの?あれ」
「…ザルだな。強いの域を通り越している」
「ザルすら通りこして、枠かもしれないけどね」
+++++++++++++++++++++++++++
「って、酒に強いだろ?」
ヒノエの言葉に、以前と酒を飲んだときのことが思い出される。
思わず、声が引きつった気がした。
「く・ろ・う・さん!!もう酔っちゃったの?」
『まだ、飲み始めたばっかりじゃない』
とは不満そうな顔をした。
俺はというと、そんな彼女を気に出来るような状況じゃなかったが。
「九郎さんらしいと言えばらしいけど…、あんまり弱いと付き合いのとき困るよ?」
完全に酔いが回って来ている俺は、返事を返すこともままならない。
少し酔い始めた頃に、これ以上は…と止めようと思ったのだが…。
がそれを許してはくれなくて。
結局、強引にここまで飲まされたわけだが。
「これのどこが…飲み始めたばかりだと言うんだ…?」
小さく呟いた言葉は、どうやらには聞こえなかったようだ。
一人、不満そうに酒を口に運んでいる。
飲み始めてから、ゆうに数刻はたっている。
おまけに、空いた酒の数は半端じゃない。
それでも、全く酔ってくる様子すらない。
そんな様子を、俺は額に手を当てつつ、苦笑して見ていた。
「強いって言うかさ…、何て言うの?あれ」
「…ザルだな。強いの域を通り越している」
「ザルすら通りこして、枠かもしれないけどね」
お互いに、言いたい放題だが。
本当に、には驚いた。
あれで酒に強いと、全く自覚がないのだから怖い。
俺もヒノエも、ハッキリ言えば酒に弱い方ではない。
…弁慶には負けるが。
弁慶もまた、と似たように酒には強い。
何も、そんなところまで似なくてもいいだろうに…。
「あれ?二人ともこんなところで何やってるの?」
不思議そうな声が、突然聞こえた。
夜のシンとした静けさの中に、凛と響く透き通った声。
近づいてきたのは、言わずともだった。
+++++++++++++++++++++++++++
「あれ?二人ともこんなところで何やってるの?」
そろそろ寝ようかな?と思って、部屋に向かう途中、慣れた気配を縁側に感じた。
誰だろうと思って、歩を進めていけば、九郎さんとヒノエくんの姿。
近づいてみれば、どうやらお酒を飲んでいたようだ。
「お前こそ、こんな時分に何をやってるんだ?」
「何って、私は寝ようかなって思って部屋に行く途中だったんだけど?」
普通に歩いてきた人に、何をやってるんだ?は無いでしょうに。
それとも、何?
私には寝るなとおっしゃりたいわけですかね?
「そうだ、何なら姫君もどうだい?」
ヒノエくんがスッとお酒を注いだお猪口を差し出してきた。
桜の花びらが一枚浮かんでいて、思わず誘われてしまう。
どうしようかなー。
眠い時に飲むと、結構酔いやすいっていうし。
そんなにお酒に強いわけじゃないしな。(自覚が無いのは恐ろしい…)
「夜桜を見ながらっていうのも、風情があっていいだろ?」
「んー、それもそうだね。折角だし、頂こうかな」
笑ってお猪口を受け取る。
「おい…っ、ヒノエ」
「何だよ九郎?」
「何だじゃないだろう?大丈夫なのか!?」
「大丈夫も何も、悪酔いするってわけじゃないんだし。ただ強いってだけなんだから、問題ないだろ?」
「それはそうだが…」
「それに…オレは姫君が酔うところを、ぜひ拝んでみたいしね」
「相変わらず、悪趣味だな…お前は」
「何?九郎は気にならないわけ?が酔ったらどうなるのか」
「気になど…」
「なってないわけないだろ?」
何か、勝手なことばっかり言ってるけど。
全く、二人とも聞こえてないとでも思ってるのかしらね。
バッチリ聞こえてるんですけどー?
ま、いいか。
なんて、ちょっと二人の小声での話しに怒りを燃やしつつ。
だけれど、気にしなくてもいいか、なんて軽く流して
『綺麗だな〜』とか。
『こんな風に夜桜を見ながら、ちょっとだけ酒を嗜むっていうのが醍醐味よね』なんて思いつつ。
ボーっと桜を眺めていたんだけど…。
そのせいで、ヒノエくんがその場からいなくなってるのに気づくのが遅れた。
「あれ?九郎さん、ヒノエくんは?」
「ああ、それなら…」
気づいたときには、すでにヒノエくんの姿は横には無かった。
辺りを見渡してみても、気配を探ってみても近くにはいないみたい。
どこに行ったんだろう?と不思議に思っていたら、すぐに戻ってきた。
「待たせたね、姫君」
にっこりと笑うヒノエくん。
それはまぁ、置いておいて。
「あのさ、これは一体何?」
目の前に並べられたお酒の数々。
持ってくるのさえ、大変だったんじゃないかって思うほどの数。
「ん?見たまんま、酒だよ」
「いや、それは分かってるんだけどね?」
私が聞きたいのは、そんなことじゃないわけですよ。
ええ。
「ヒノエ、お前な…」
「何だよ、九郎。文句でもあるわけ?」
呆れたような九郎さんに、ヒノエくんは全く悪びれた様子も無し。
それどころか
「気になるんだろ?九郎も」
なんて、言ってる始末だし。
つまりは、これを私に飲めって言ってるわけで。
どう考えても、こんなに儚く綺麗に咲く桜を見ながら、やることじゃない気がする。
何ていうか…、雰囲気ぶち壊し?
そんなことを思って、内心呆れつつも並べられた酒を見つめる。
何?
ということは…これは挑戦状ってわけ?
「ヒノエくん、眠いときって酔いやすいって知ってる?」
「酔いやすいなら、願ってもないね。ぜひとも、姫君が酔ったところを拝ませてくれるかい…?」
「九郎さんは?」
「いや、俺は…」
「…気になるってことね…」
ヒノエくんと九郎さんの反応に、フッと笑う。
酔ったところが見てみたい?
いいじゃない、挑戦状。望むところよ!
夜桜をみながら、少しずつお酒を嗜む?
雰囲気ぶち壊し?
そんなの、お構い無しよ!売られた喧嘩は買ってやる!(違)
別にお酒に強いわけじゃないし、酔ってるところを見られるのも問題ないけど。
それでも、こうも挑発されたんじゃ逃げるわけにはいかないでしょ?
「後悔、しないでよ?」
その後、一体どうなったのか。
事の一部始終は、桜のみが知る話。
---------------------------------------------------------
あとがき
『ALT』のつじみ朱羅様より、2万打記念に頂いたイラストが素敵過ぎて…っ。
思わず、ドリームを図々しくも書いてしまいました(笑)
本当は、さんは出さずに、ヒノエと九郎だけでも良かったんですが…。
一応、うちはドリームサイトですし。ヒロインさんも出そうということで。
こんな感じに仕上がりました。
そしたら、夜桜の儚げな感じがいつの間にか消えてしまって(汗)
あははー…。
お酒にめっぽう強いヒロインさんです。何気にヒノエの猪口使っちゃってます(笑)
私自身、酔った事がないので…酔ったヒロインを書けなかったっていうのが本音です。
雰囲気ぶち壊したのは、お前だろーが!って感じですね(苦笑)
朱羅様のみ、お持ち帰りOKとさせていただきます。