あいつは笑っていた
幸せそうに、ただ笑って…
俺の刀が振り下ろされるのを…
待っていた―――





最後まで微笑んで





『彼女は己を犠牲にしてでも、僕達を守ろうとしているんです』
『彼女の願いを叶えられるのは、九郎…きみだけなんですよ』

弁慶の言葉に、心臓が…時が一瞬止まった。
息をするのも苦しくて。
俺を殺しに来た、その義姉上の言葉よりも衝撃が強かった。

俺を、俺達を助けるために…お前一人が犠牲になる?
俺達が助かるために、俺がお前を殺す?
そんなこと…できるわけがないだろう…っ。

『捕らえられて、拷問にかけられ苦しみ死んでいく。そんな彼女の姿を見たいと、そう言うんですか?』

戸惑う俺に、弁慶の言葉が容赦なく降りかかる。
の苦しむ姿…?見たいなどあるわけがない。
それに…後戻りができないのも、分かっている。
だが…、どうして大切な仲間を…を、この手にかけることができるというんだ!

俺を含めて、この場にいる全員が納得などしていない。
それは…弁慶も同じ。
だが、弁慶は真の気持ちを押し殺してまで、の願いのために動いている。
弁慶は…本当に強いな…。
俺には、あんな強さがあるのだろうか?

後戻りなんてできない。
選択肢は2つしかない。
しかし…その選択肢も限りなく一つに近いと、分かってはいるのに認めたくない。
だけれど…認めなくてはならない。
迷ってる時間はない。

の願いを無下にして、俺も彼女も死ぬか。
彼女の願い通りにするか。
どちらも、に待っているのは『死』。
違うのは、彼女の願いが叶うかどうか。
選ぶのは…一つしかないだろう?

自分の身が可愛いわけではない。
俺が死ぬ事でが助かるなら、それでもいいとさえ思うのに。
俺が死んでも、彼女が助からないというならば…
俺は…彼女の願いを叶えてやりたい。

本当に、大切だから。
兄弟同然に…ずっと側にいて、一緒にいたお前だから…。
他の誰に恨まれようとも、俺は…お前の願いを叶えたいと思う。

…弁慶も同じ思いなんだろう。
本当に、お互い断腸の思い…だな。
そして、それはきっと彼女も同じなんだろうと思った時…
俺の足は、の元へと走りだしていた。





++++++++++++++++++++++++++++++++





『それが、さんの願いなんですよ…』

何度言われたって、納得なんて出来るわけが無い。
九郎に殺される事が願い?
オレたちを守るために…自分一人を犠牲にする?
そんなこと、あっていいはずがないだろう…っ。

ずっと気になってはいた。
弁慶との様子に…。
何かあると、分かっていたのに…。
気づく要素はいくらでもあったというのに。
最後まで気づけなかった。

何を…やってるんだよ。オレは…っ。

『仲間だから…言えなくて、頼れないことも…あるよ…』

仲間なら何も言わないのは可笑しいと、そう言ったオレに彼女は悲しそうに言った。
仲間だからこそ言えないこと、頼れないこと…
それは、このことだったのだと…今更気づいたところで、もう遅い。

彼女ほど、仲間を大切にしてる人はいなかった。
仲間を大切にしすぎて…だからこそ、一人で全てを抱えてしまう。
一言言ってくれれば、そう思うけれど…言えるはずない、か…。

何でもかんでも、相談すればいいってもんじゃない。
それに、相談できることばかりじゃない。
だからこそ…本人が言えないでいるからこそ、誰かが気づいてやるべきだったのに。

苦しんでるに、気づいてやるどころか…逆にオレは責めた。
彼女を追い詰めたのは…オレだ。

クソ…ッ

今、オレに出来る事は…。
考えろ、考えるんだ。
だけれど、どんなに考えたところで、行き着くのは…熊野別当という立場。
あり得ないほどの力で、オレを抑えていた弁慶の

「もう、出来る事は何も無いんです。僕も…ヒノエ、きみにも」

その言葉が、オレに止めを刺した。





++++++++++++++++++++++++++++++++++





「どうして…!?なんで…っ。ねぇ!!!」
「くそ…っ、放せよ!」

望美とヒノエくんの叫び声が聞こえてくる。
望美は先生に。
ヒノエくんは弁慶さんに抑えられていて…。
私たちの方へ来る事は叶わない。

二人の声に、ギュッと目を瞑って。
肩が震えそうになるのを、必死で抑えた。

お願い…。
お願いだから…止めないで。

「朔も、近づいちゃ駄目だ」
「兄上!?何故です!?このままではは…っ。今ならまだ…まだ…」
「さっき弁慶も言ったはずだよ。もう引き返せない。手遅れなんだ…」
「だからって…これでいいはずがないわ…!」
「そう…だね。でも、誰にも止められないんだよ…」
「ただ見てるだけで…守られてるだけなんて…。そんなのってないわ…っ」
「俺も悔しいよ…?でも、彼女の想いのためにも…俺達は手を出しちゃいけないんだ」

景時さんの言う通りだよ…?
皆が止めようが、止めないでいようが…どっちにしろ、私には死が待ってる。
だから、止めないで。
私は…私が命をかけたのに、皆を救う事ができなかったなんてこと、絶対に嫌だから。

それにね…?
生き延びたとしても…いつか近いうちに私は死んでしまう。
宝珠を失えば、この命…消えてしまうから。
どうせ失う命なら、皆のために。
一つでも多くのことを、していきたいの。

…。何故…何故だ!?」

真剣な九郎さんの瞳に、私が映る。
心なしか、少し震える切先を向けている九郎さん。
そんな彼に、私は至極冷静に対峙していた。

なんで?
どうして?

そんな質問に、意味は無いよね。
皆はもう、分かってるんだから。
あとは…認めるだけ。

「どうして…お前は…」

九郎さんがもう一度、同じ問いを私に投げかける。
私はフッと、少しだけ微笑んで。
ゆっくりと、首を振った。

私の様子に見開いた九郎さんの瞳に、次の瞬間映ったのは振り下ろされる私の刀。
ガキィン…ッ
激しく金属のぶつかり合う音がして、私の攻撃が九郎さんに届くことはなかった。
だけど…

遅い。

いつもの九郎さんからは、考えられないほどの反応の遅さ。
あとほんの一瞬でも反応が遅れていようものなら、間違いなく私は九郎さんを傷つけていた。
私はスッと目を細めて、心の中で小さくため息をつく。

「その程度なの?九郎さん」

わざと冷たい声を投げかける。
馬鹿にしたような、呆れたような笑みと共に。

「大したことないのね。悪いけど、雑魚を相手にしてる暇無いのよ」

思ってもないことを、次々と口にする。
大したこと無い?
九郎さんが雑魚?
そんなこと、絶対にあるわけないのに。

「私が用があるのはそっち。まぁ、邪魔者が九郎さん程度なら…邪魔をされようと関係ないけど」

にっこりと笑みを顔に貼り付けて。
競り合う刀に力を更に加える。

どうするの?私は、手を抜かないよ。
貴方を本気にさせるために。
覚悟を決めさせるために。
迷いのある刀じゃ、何も…断ち切ることなんてできないから…。

「隙だらけじゃない。そんなに殺されたいの?」

バッと、後ろに跳び退ると同時に、九郎さんの腹部めがけて刀を横になぎ払う。
咄嗟に九郎さんも身を引いたけれど、切先は確実に彼に届いていた。

ポタリ、ポタリと床に赤い染みが出来ていく。
九郎さんは手で傷口に少し触れて、私に再び視線を向けた。

「お前…本気で…?」
「本気よ…」

本気でこないと、九郎さんも殺す。
そう取れる答えを、九郎さんに返した。
きっと、困惑してるだろう。
皆を、九郎さんを助けたいのに…本気で来なければ殺すって言ってるんだから。

本心は、殺す気なんて全くないのに。
だけど、こうでもしないと…本気で来てくれないでしょう?
迷いを持ったままでしょう?

「もう、本当にこれしか方法は無いのか…?」
「無い、よ…。これしか…これしかないの」

本当は謝りたい気持ちでいっぱいだった。
『辛い役目を負わせて、ごめんなさい』って。
でも…それは、言ってはいけない言葉。
だから、言えない…。

「もう、本当に戻れないようだな…」
「うん…」
「そうか…」

一度九郎さんは目を伏せて、再び上げられた瞳には…覚悟の色が浮かんでいた。
少し震えていた肩も、その震えを止めていて。
それでいいよ、と…再び私に笑みが浮かんだ。










「っ…ぅ…っ」

九郎さんが刀を振り下ろすと同時に、右腕に鋭い痛みが走る。
咄嗟に九郎さんから距離をとったけれど、思わずその場に刀を落としてしまった。
全身にいくつもの傷。

これで…両手足、全部やられたか…。
右手も、これじゃもう刀は握れそうにないかな…。

両手足だけじゃない。
胸の辺りに受けた傷も、どうやら肺に達してるみたいで…。
口の中に血の味が広がってる。
呼吸も逆流する血のせいでままなら無い。

次で、最後…ね。

ゆっくりと、なんとか刀を両手で握って。
立つ事もやっとな足に鞭を打って立ち上がる。
九郎さんは口を開きかけたけど、何も言うことなく…同時に私達は床を蹴った。

一気にお互いの距離が縮まる。
もう、刀を振り下ろす力もない、か…。
目に映ったのは、九郎さんが刀を振り上げる瞬間。
私は自然と微笑んで、振り下ろされる刀を見つめていた。

カシャン…

刀が落ちる音が静かに響く。
九郎さんの攻撃は、私の右肩から腹部にかけて一線に切り裂いていた。

終わった。
私の命、もう長くはもたないだろうな…。
残された時間はあと僅か、か…。

…」

何ともつかない顔をしている九郎さんに、私は微笑んで。
ゆっくりと、数歩後ずさった。
船縁まで、あと数センチの距離で足を止める。

「「!」」

九郎さんの声に重なった、彼よりも少し幼さを残す声。
声の方へ視線を向ければ、未だ弁慶さんに抑えられているヒノエくんの姿。
弁慶さんが手を放せば、今にも走ってきてしまいそうだ。

ヒノエくんにも…本当はまだまだ、いっぱい言いたいことあったな…。
昨夜の喧嘩もしたまま、酷いこと言ってごめんねって言えなかったし…。
折角、気づいた彼への気持ちも…。
言えなかった、な…。

「あ!さ、朔!?」

景時さんの腕を一瞬の隙をついて振り払って、朔が走ってきてしまった。

…っ」
「朔…」

ただ泣きながら、私に朔が抱きついた。
震えている朔の背を、軽くあやす様に叩きながら、私はあるものを取り出した。

「ね、朔。これ受け取って?」

少しだけ顔を上げた朔に、にこっと笑みを浮かべて。
彼女の手にそれを握らせる。

「これ、は…」
「そ、黒龍の逆鱗だよ。朔が持ってるのが一番いいと思って」

途切れそうになる言葉を、精一杯の力で搾り出す。
話す度に、喉が…肺が、全身が痛い。

「黒龍はまだ生きてる…。逆鱗だけの存在だけど、まだちゃんとここにいるから…」

力を取り戻せば、きっと会える。
白龍がもっと力を溜めて、応龍となる時が来たならば、その時に必ず会えるよ。

『白龍、聞こえる?』
『うん、聞こえるよ。…』
『応龍が復活するときに、必要になったら…この宝珠、使ってね…』
『…それが、の願いなら…』


この宝珠が必要になるその時まで…私が守るよ。
この…深い海の底で…。

「政子様…さよならです。今度こそ、本当に…」
「…ええ…」
「これ、もう必要ないですよね…?」

何とは言わなかったえけれど、指しているのはひとつしか無い。
応龍の宝珠。
これは、彼女も狙っていたものだから。
だけど、あなたには必要ないですよね…。
それだけの力があるのだから…。

「私には奪う権利は、もうありませんわ…」
「やっぱり…、政子様は私の好きだった時のままですね」

本当は優しい。
大好きだったあなた。
あなたは変わってなんていなかった…、それが分かったから十分です。
目を瞑って、ゆっくりと視線を上げた。

トンッ

朔の体を突き放して、私は静かに笑みを向けた。

「ありがとう」

ここにいる皆に、たった一言残して。
私の体がグラリと後ろへ傾いた。
海へと投げ出した体が落下していく。
その速度は、驚くほどゆっくりと感じて。
最後に見えたのは、みんなの辛そうな…悲しそうな顔。
聞こえたのは、大好きだった彼の声。

!!」

私の頬に落ちたのは、波の飛沫か…それとも誰かの涙だったのか…。














皆ともっと一緒にいたかった。
一言、彼に好きだって言いたかった。
彼の…ヒノエくんの側で、幸せになりたかった。

『お前は、来るなよ』

深く深く…海の底へと沈んでいく中で甦った言葉。
そして…

『まだ、来るのは早いだろう…?』

届いたのは、聞こえるはずのない声だった―――

















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あとがき
暗い。とにかく暗い。
この回と、次の回くらいが一番暗いんじゃなかろうかと。
そこが過ぎれば、後は少しずつ浮上するだけです!
思った以上に話が進んでいかなくて、悩んでいる今日この頃です(汗)