私はもう、あの頃の私じゃない
あなたの人形じゃない
でも、皆を守れるなら…戻ってもいい
あなたの操り人形に―――





意思を持った人形





「久しぶりですわね、。来ると思っていましたわ」

にっこりと笑う政子様の表情が、とても懐かしく思えた。
でもそれは、温かみのある懐かしさじゃなくて…
見えない糸に捕らえられるような、冷たい感覚だった。

「そうでしょうね。あの書状は…私をここに来させるためのものだったのでしょう?」
「うふふ、やっぱり気づいてましたのね」
「当然です」

九郎さんのところに届いた書状には、あるメッセージが隠されていた。
私と政子様の間だけで通じる暗号によって…。
皆には言わなかったけれど…。
心配させたたくなかったから、っていうのもある。
でも…

「『逃がさない。私の可愛い赤染めの人形』…ですか」

私が巻き込んだ。
九郎さんの解任の件は、私をおびき寄せるために…仕組まれたものだったから…。
私が、全ての原因だったから…これ以上、迷惑はかけたくないと思ったの…。

「あなたらしい言葉ですね。政子様?」
「私は、自分の所有物を手放す気はありませんもの」

満足そうに笑う政子様。
その表情に、私は今までの行動が無意味だった事を悟った。
熊野のあの時…私が死んだときから、この人は全てを知っていたんだ…。
知っていて、私を野放しにしておいたんだ。

ほどの人形はいませんもの。あなたほど、血に染まっても綺麗な人形は…」

逃ゲラレナイ
ドンナ所ニ行ッテモ
何処ニ隠レテモ…


「血に染まっている事は否定しませんし、する気もありません」

私はあなたの命令どおり、何でもやってきたから。
女子供関係無しに、邪魔ならば罪が無くても殺してきた。
私の手は…ううん、手だけじゃない。
全身が真っ赤に染まって汚れている。
それは、否定していいものじゃない。
だけれど…

「でも私は、もうあなたの所有物じゃない」

人形だった私じゃない。
私は私、誰の物でもない。

「あらあら、そんなことを言っていいのかしら?聡明ななら、分かってると思ってましたのに」

クスクスと笑う政子様が、何かを企んでいるのは目に見えて分かった。
分かってる…。
あなたの言いたいこと。
企んでる事。

「再びあなたの人形として働く事。それが政子様の望みですよね?」
「やっぱり、は賢いですわね」

書状を見たときから、気づいていた。
全ては、餌だったというわけだ。

「私が嫌だと言ったら、どうなさるおつもりです?」
なら、そんなこと言わないでしょう?」
「どうして、そんな風に思うんですか?」
「あなたは、仲間を見殺しに出来ませんもの」

見殺し…って言った?
見捨てる…じゃなくて…?
まさか…っ。

「皆に何をしたんです…?」

最悪の考えが頭をよぎる。
皆に何を仕掛けた?
何を企んでいるの?

「あら、怖い顔をするのね。大丈夫ですわ。まだ何もしてませんもの」
「『まだ』なら…今からはどうなんです?何をするつもりなんですか…?」

もしも…もしも、皆に危害を加えたら…。
皆に何かあったとしたら…

許サナイ…

例えあなたでも…
大事な仲間を傷つけるならば…

殺シテヤル…

「もうすぐ屋島で戦が始まりますわね」
「それがどうしたっていう…っ」

言いかけた私に、政子様は微笑みながら周りの兵士に視線を向ける。
そこでやっと気がついた。

どうして、こんなに兵士が残っているの?
頼朝や政子様、屋敷の護衛には多すぎる…。

「まさか…」
「ふふ、気づいたようですわね。の考えてるとおりですわ」
「援軍を…送っていらっしゃらないのですか…?」

私の問いに、政子様は笑みで答えた。
屋島は恐らく、大きな戦になる。
源氏は屋島で決着をつけたいはずだから。
屋島から更に西へ逃げられたら、戦の場は水上戦…。
追い詰めたというのに、再び勝敗が五分になってしまう。
だから、九郎さんたちは当然、援軍の要請をしたはずだ。

「ええ、その通りですわ。未だ前線に立ってる兵士と同等の数の兵士が、この鎌倉にいますもの」
「源氏が負けても…いいというのですか?」

この屋島での戦、援軍が間に合わなければ…下手をすれば、負け戦になる。
源氏が負けて…事と次第によっては、源平合戦そのものが、源氏の敗戦で幕を閉じる。

「源氏は負けませんわ。援軍はちゃんと向かわせますもの」
「なら…」
「ただし、援軍が間に合うかどうかは、…あなた次第ですわ」

スッと、政子様が笑みを消して、目を細めた。
私次第…?
それは…

「私があなたの下へ戻れば…人形に戻るのなら、援軍を向かわせてくれるのですか?」
「ええ、そういうことですわ。あとはの意思一つ」
「私の…意思…」
「鎌倉に残っている兵士、それを動かすのはの決定一つですから」

援軍は、このままでは動かない。
それを動かすのは、私の意思一つ…。
政子様の下に戻るという、決意一つだけ。

「どうするのかしら?。九郎たちの命は…あなたが握っているのですよ?」

このまま、援軍が向かわなければ…敗戦だけじゃない…
皆の命が危ない。

「…分かりました」

真っ直ぐ顔を上げて。
発した声は、意外にも凛とその場に響いた。

本当はね…、最初から決意していたの。
人形に戻る事で、皆が守れるなら…それでもいいって思っていたから。
そう思えるほど、皆が大切だったから。
初めから、人形に戻るつもりで、鎌倉に来たの…。

人形に戻る代わりに、皆に関わる全てのことを、水に流して欲しい。

そう言うつもりだった。

「ただし、条件があります」
「条件?いいですわ、聞きましょう」
「九郎さんの解任を白紙に戻す事。そして、皆へ危害を加えない事。それが条件です」
「それは、今までの事を全て無かった事にしろということかしら?」
「そうです」

私はスッと、九郎さんからの書状を取り出そうとした。
頼朝に当てられた手紙だったけれど…。
この際なりふり構ってはいられない。
懐に手を入れた私に、周りの兵士が身構えた。
いくつもの鍔鳴りが、辺りに響く。

「動けば命はないけどいいの?安心しなさい。危害を加えるわけじゃない」

チラリと周りの兵士を見て、少しだけ殺気を周りへと放つ。
そして、グッと動けなくなった兵士を他所に、私は政子様へ書状を差し出す。

「お分かりになるでしょう?九郎さんは、謀反など企んではいません」
「確かに、これが事実なら…そうなるでしょうね」
「事実です。私を匿ったのも、全ては源氏を思うがため。そして、私をここに来させたのも、九郎さんなんです」

精一杯、言葉を選んで並べていく。
少しでも、九郎さんが頼朝を大切に思う気持ちが…伝わればいい。
それが唯一、私ができる…九郎さんを巻き込んでしまったことへのお詫び。

「『兄上と義姉上を守ってくれ』そう言って、戻るように説得してくれたんです」
「…だそうですわ?あなた」
、それは真実か?」

何処からとも無く、頼朝が現れた。
どうやらずっと潜んで話を聞いていたらしい。
ま、そうじゃないかって思ってたけど。
いい弟を持ったわね、頼朝!

「全て真実です。これがどういう意味を持つのか、二人なら分かりますよね?」
「謀反を企む者なら、狙う相手の護衛に自分より実力が上の者をつけるわけがない…というわけか?」
「はい」

九郎さんには悪いけど、実力は私の方が上だと思う。
刀だけの九郎さんに対し、私は武器とあれば何でも扱える。
それこそ、殺しのためだけに作られた暗器だろうと、仕込み武器だろうと…。
刀だけなら、互角ないし九郎さんの方が上かもしれないけどね。

「一つ問おう。もし、我々を狙うものがいて…それが誰であっても、お前は殺せるか?」

誰であっても…。
それは…『仲間』であってもっていうこと…。

「無論、それがあなたの弟君であっても…殺してみせましょう」

九郎さんはそんなことしないって分かってるから…
私が、仲間を…皆を殺すなんてこと有り得ないから。
逆に、どさくさに紛れて殺られないように気をつけて下さいね?
私も…狙ってるかもしれませんよ?

「よかろう。九郎の解任を白紙に戻し、お前の仲間の身も保証する」
「戦が終わるまでは、今まで通り頑張っていただきますわ」

頼朝も政子様も、私の答えに満足そうに笑みを浮かべた。
これで、全ての準備が整った。
私が、人形に戻る決意をしたのは…他にも理由がある。

二人の側について、二人の企みを探るため。
そのために、私は再び血に染まる道を選んだの。







さん、少しいいですか?』
『どうしたんです?いいですよ?』

惟盛の事件の後すぐ、私の部屋に弁慶さんが訪れたことがあった。

『頼朝公と政子様について、あなたの知る限りのことを教えて頂きたいんです』
『いいですけど…?突然どうしたんです?』

弁慶さんは、いつもの笑みは浮かべていなかった。
まっすぐと向けられる視線は、本当に真剣なものだった。

さんは、源氏が平家に勝ったとして…戦はそれで終わりだと思いますか?』
『…まさか、弁慶さん…』
『ええ、僕は平家との戦の後、頼朝公がもう一戦起こすつもりではないかと考えています』
『有り得ないことではないですね。だから、私に二人の事を?』
『はい。一番近くで、長い間二人を見てきたのはきみですから』

二人が、どういう人物なのか…
もう一戦を企むような人物なのか、それが聞きたいということだった。

『その相手が、奥州・藤原氏なのか…それとも九郎なのか…』
『どちらも可能性は高いですね…』

藤原氏は、源氏に匹敵する力を持っているし…。
九郎さんは、頼朝にとっては脅威だから。
そして、きっと九郎さんを狙うとしたら、望美や八葉の皆にも当然火の粉が降りかかる。

『どちらが相手であっても、僕は止めたいと思っています』

源氏の冷酷な軍師だと恐れられた人…。
だけれど、誰よりも戦の終わりを願う人。
賢すぎて、先へ先へと目を向けれてしまうから…誰よりも苦しんでいるって知っていた。

『それが九郎なら、なおさら僕は殺させるわけにはいかないんです』








私も同じ気持ちだった。
でも、二人の真意を探るのは難しい。
だから、私は戻ろうって決意したの…。
私なら潜り込める可能性が高いから。
政子様に下に戻ったのは、皆を守る計画の一部でしかない。


九郎さんを…皆を殺させたりしない…。
平家との戦が終わるまでの、皆の身の保証はこれでとれたと言っていいだろう。
だけれど、戦が終わった後は…保証できない。

『戦が終わるまでは、今まで通り頑張っていただきますわ』

政子様が言った言葉…それからも、十分察しがつく。
皆の安全の保証は…戦が終わるまで、だ…。

「早速、に仕事を差し上げますわね」

頼朝がスッと片手を挙げた。
すると周りの兵士が全て武器を収めて、頼朝と政子様に膝をついた。

「この者達を連れて、屋島へ援軍に向かいなさい」
「御意…」
「期待してますわよ?…」

政子様、言いましたよね?私はもう、昔の人形だった私じゃないと。
あなたの人形に戻ろうとも、それはもう、ただの人形じゃない。
私は意思を持った人形なんです。

意思を持ったものは…何をするか分かりませんよ?
政子様―――…?





向かうは屋島。
そこに、私の仲間が待っている。
誰よりも、自分の何を捨ててでも、守りたいと思う仲間が…。
私の戦いは始まったばかり…。
これからが、本当の勝負だ―――…。










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あとがき
あはは…暗いですね〜(汗)
そして、またまたさん独走!
夢のヒロインとしてどうなんだって感じですよね〜…。
さてさて、この後は一体どうなるのやら…?誰か教えてください…っ。
一応、ヒロインは精神的に強くなってるはずなので、前みたいになることは無いでしょうけど。
彼女は彼女なりに、仲間を守ろうって必死なんですよ…っ。
それを有り得ない方向に書いてるのは、私ですけど(笑)(←笑い事じゃない)